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江戸川乱歩vs貴乃花
江戸川乱歩の探偵小説に、誰もいないはずの空間から怪人の声が聞こえてくる場面がある。
「わっはっは!どうだ明智君!僕の姿が見えるかね?見えないだろう?僕はね、透明人間なんだよ。ガッハッハ〜」
そのトリックは腹話術であった。
明智小五郎の真横に立っている金満家……その正体は怪人二十面相……が、腹話術を使って、口を動かさずに声を出していたのだ。
いや、しかし、口を開かずに声を出したからと言って、その音の発生源が特定できなくなる、ということがあるだろうか?
特定できなかったとしても、都合よく人のいない空間から声が聞こえる錯覚は起こるのだろうか?
音響学的には、ある周波数以下の重低音域は指向性が失われ、音源が特定できないことになっている。
(だから、オーディオスピーカーの配置について重低音を担うサブウーファーは、部屋のどこに置いてもよい)
しかし人間の声は中音域にあるから指向性があり、腹話術師が唇を動かさずに声を出したとしても、その声はあくまで腹話術師から聞こえるはずである。
乱歩はよほど自信があるのか、この腹話術トリックを何度も使用しているし、ミステリのトリックを扱ったエッセイにも取り上げている。
腹話術で声が発生する方向を自在に変えられるなら、腹話術師は自分の真横に人形を置く必要はない。
ただ、貴乃花の「ふるさと納税」のコマーシャルを見ると
「下手な腹話術師が口を動かして声を発すると、真横に位置する腹話術人形が話しているように決して聞こえない」
ということが確認できる。
つまり、口を閉ざして声を発する腹話術の技術は
「わずかな距離(真隣)であれば別の地点から声が聞こえる錯覚を与えることはできる」
ということなのだろう。
江戸川乱歩はこの微妙な距離の錯覚を誇張して、このトリックを編み出したのに違いない。
貴乃花のコマーシャルは一部で
「まるできちがいのようだ」
と不気味がられているが、乱歩の腹話術トリックの本質に迫る、示唆に富んだ内容なのである。