
オリンピア 俺は俳句で 金メダル
ミュンヘン・オリンピック(1972)の時、文部省の「オリンピック俳句」募集があり、うちの小学校では3年生以上の全生徒がこれに応募することになった。
私は10歳だったが、まだ俳句というものを作ったことがなかったので、適当に
金メダル かけるところが 汗くさい
という句を書いて提出した。
担任は、これを「悪い例」として皆に晒し
「これは俳句になってない。何故なら季語がないからだ」
と説明した。
「こういうのは川柳といって、文学的には俳句より数段劣る言葉遊びでしかない。その川柳の中でも、これは最低のものだ!」
担任が酷く貶すので、クラス全員が爆笑し、私は唇を噛み締めて項垂れるしかなかった。
しかし、この俳句は、うちの学校から提出されたすべての句(教員の句も含む)の中で唯一本選に残り、年齢別の全国第1位、全体でも30位ぐらいになったのだ。
(担任は「季語がない」と言ったが、「汗」は夏の季語だった)
私にはトロフィーと副賞の巨大地球儀が贈られた。また、学校に対しても当時の最先端機器である「黒板消しクリーナー」が10台も贈られ、その全てに
「金メダル かけるところが 汗くさい 夕陽の侵略者(ここは本名)」
と金文字で彫り込まれていたのである。(巨大地球儀も私が知らぬ内に、学校に寄付が決まってしまったのだった)
私を散々貶した担任は、私に謝ることも弁明することもしなかったが、どうやら他の人には
「私が添削して手直ししたから受賞した」
と言っていたらしい。
金メダル かけるところが 汗くさい
自分でも汚らしく酷い俳句だと思うのだが「生々しいリアリズムを感じる」といった評価があったのだろうか?
選者の中に、この前亡くなった谷川俊太郎の名があったことだけは憶えている。