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鏡の向こうに誰かいる

 私の中学時代の担任は、3年間同じ人だった。30代の個性の無い男性だったが、妙な噂があった。
この担任には双子の兄がおり、時々、その兄が教壇に立っているというのだ。
双子だから顔も背丈も見分けがつかない。声も全く同じだから、二人が入れ替わっていても誰にもわからない。しかし双子の兄は教員免許を持ってないというのだ。

 兄と弟の違いは、雷に対する反応にあるとされた。
天気が悪い日、雷が鳴ると弟(正式な担任)は「わー!きゃー!」と悲鳴をあげ、両手で耳を塞いでうずくまってしまう。それほど雷が怖く、嫌いなのだ。
しかし兄は、雷の音には無反応で、近場に落雷があっても動じないのだという。

 私は、雷に怯える担任の姿を何度か見たことがあったが、雷に無反応な姿は見たことがない。それは同級生達も同じで、雷に動じない双子の兄を見た者が誰なのか?は不明だった。
(その疑惑について、担任本人に直接訊けばよいのに?と若い人は思うだろうが、この当時、教師と生徒との関係は現代のように馴れ馴れしいものではなく、特にこのような教師自身の身の上に関わる事柄については、口にすることは出来なかったのだ)

 そんなある日。教室に突然、白いテンガロンハットに派手な柄のカラーシャツ、厚底のウエスタン風ブーツを履いた男が入ってきたのだ。
男は浜村淳だった。
(浜村淳はスターだったが、ラジオの人だったから、その容姿はあまり知られてなかった)

 浜村淳は
「こんにちは浜村淳です」
と礼儀正しく挨拶をしたが、その手にはマイクが握られており、無遠慮に担任に突き出された。
「こちらの学校の生徒さんから私の番組宛に、先生の謎を解いて欲しいという投書がございました。それによりますと、先生には双子の兄弟があり……時々、誰に知られることなく、入れ替わっておられるのではないか?と、いうんですね。これが事実であるならば!……これは大事件、大問題ですね。そんなことは決して無い、万に一つ、億に一つも無いとは思いますが……あまりにも興味深い相談でしたので、私、浜村淳が自らマイクを持って現場であるこちらの中学に出向いた次第でございます。さあ先生、事の真相や如何に?」

 担任はきょとんとしていたが、段々と顔が赤くなり、浜村淳のマイクを払うと
「な、何だ!あんたは!」
と怒声を発した。

「……私はハマムラだ!ハマムラ・ジュンだ!……この取材については、校長先生の許可も取ってあります。さあ、答えてください。先生は双子の兄ですか?弟ですか?」
「兄も弟もない!私には確かに兄はいたが、10歳も年上で……戦争で死んでるんだ!他に兄弟はいないし、いたとしても入れ替わったりするはずがない!」

 すると浜村淳は意外にあっさりと
「そうですか……よくわかりました」
と言い、マイクを引っ込めると、無表情に引き上げていった。

 担任の怒りはおさまらない。
「誰だ!変な噂をラジオに投稿したのは?今、素直に名乗り出たら許してやる!投書した者は手を挙げろ!」

 しかしこれはどう考えても、許してくれるはずがない。誰も手をあげる者はいなかった。
担任は
「取材を許す校長も校長だ!ちょっと先生は厳重抗議に行ってくる!……それから、お前ら連帯責任やからな!通知表全員下げちゃるけん覚悟しとけよ!浜村淳を聞くのも禁止な!一生聞くな!
と捨て台詞を残して去り、その日は帰ってこなかった。

 以後、双子入れ替わりを含む担任の噂は、あまり聞かれなくなったのだが、柔道部のWが、練習場の畳の上に置かれた巨大な姿鏡に、担任が自身の姿を映しているのを目撃しているのだ。
当然、鏡には担任が映っている。担任が動くと鏡の中の担任も同じに動く。しかし何処となく変だ。
少しズレているように見える。
鏡の中の担任の動きが僅かに遅延しているのだ。

 Wは怖くなり、いったん練習場から離れ、数分後、恐る恐る戻ってみた。
すると担任の姿は既になく、鏡だけが残されていた。
そしてWは、鏡に自分の姿が映らないことに気づいた。
あ!枠だけだ!
姿見のガラスが先週割れたことをWは思い出した。
そこにあるのは鏡の枠だけだったのだ。

……では何故、担任の姿は映っていたのだろうか?
枠の向こうに、担任にそっくりの誰かがいた……としか考えられないじゃないか。
 Wは
(また浜村淳の番組に投書しよう……)
と思ったという。

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