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野獣 風と共に消ゆ

1976年。中学2年生だった私のクラスに、5人の不良がいた。
彼らは皆、大人びた顔をした大男で、当時流行りのリーゼントヘア、丈の長い学生服にニッカポッカの様なズボンを履いていた。
そうした髪型・服装は校則で禁じられていたが、教師たちは注意しない。
暴れ出したら手がつけられない彼らを恐れ、見て見ぬふりをしているのだ。
もちろん生徒たちも、極力彼らと関わることを避けていたので、日々の学校生活は不安と緊張で辛いものになっていた。

秋頃になると、不良たちは教室でタバコを吸うようになった。
当初はトイレで隠れて吸っていたのだが、教師を含め誰も咎めないので、彼らは増長したのだ。
また、不良たちは税金と称して、生徒から小銭を巻き上げるようになった(これをタバコ代に充てるのだろう)。

さすがに黙っていられなくなった正義感の強い級長が
「や、や、やめれ!」
と注意すると、不良たちはニヤニヤしながら級長を囲み
「お前も吸いたいんか?吸わしたるわ!」
と、嫌がる級長の口にタバコを突っ込んで火をつけた。
「ほれ!思い切り吸わんか!肺に入れんか!」
不良たちは初めてのタバコにむせる級長を引き立てて、職員室に連れて行き、慌てる教師たちに
「ほれ!級長がタバコ吸うとったから、捕まえて連れてきてやったで。
怒らんかい!級長をしばいて説教せんかい!」
と迫った。
脂汗を流すばかりで、何も言えぬ教師たち。
「何や?怒らんのか?この学校はタバコを吸うてもいいってことか?ほな、わしらも堂々と吸わせてもらいまっさ!」
この恫喝に怯えた生活主任の教師が「こ、こら〜!級長のくせに、タ、タ、タバコを吸う奴が、あ……あるか〜!」
と吃りながら小声で怒り、震える手で級長の頭を軽く叩いた。
「ギャハハハ〜!」
腹を抱えて笑う不良たち。
涙を溜めた恨みの目で教師を睨む級長。
教師たちはオドオドと立ちすくむばかりである。

そんなバイオレンスな学校生活から逃避するため、私は休み時間になると図書室に篭って、本を読むようになった。
図書室は学究的な雰囲気を嫌う不良たちにとって、最も縁遠い場所であり、彼らは決して寄り付かないことに気づいたからだ。
うちの中学の図書室に置かれた本は、つまらないものばかりだったから、私は本屋で買い求めた小説を持参するようにしていた。

ある日の昼休み。いつものように図書室に向かった私は、図書室前の通路で不良の一人Dと鉢合わせした。
(まずい……)
Dは5人の中でも一際体格がよく、すぐに手が出ることで恐れられていた。会社員を殴って感化院送致になりかけたこともあるという噂だった。
私は気づかないふりをして通り過ぎようとしたが、肩をつかまれた。
「おい、ユーシン!無視すんなや!」
もう、ダメだ……
しかしDは、思いがけないことを言った。
「ユーシン……お前、図書室によく行っとるやろ?俺は知っとるんやぞ。そこで……一つ頼みたいんやけど……本を借りてきて欲しい」
「え?」
「俺は図書館は苦手なんや。仲間の手前、恥ずかしいからよう入らん。だから俺に代わって、お前が借りてきてくれ……頼むわ……」
Dは酷く恐縮しており、いつもの迫力がない。私が
「な、何の本ですか?」
と訊くと
「オーヤブ先生の本や」
という。
「オーヤブ?」
「何や知らんのか?大藪春彦先生や!」

大藪春彦……いかにもという気もするが、この不良が「読書をする」ということ自体が意外だ。しかも作者を「先生」と呼ぶこの殊勝さはどうしたことか……

「俺は大藪先生の大ファンなんやけど……家が貧乏だから本屋では買えんのや。万引きしたろか、と思うこともあるが、尊敬する先生の本は盗めん。だから図書館しかない。でも、俺が図書館通いしたらイメージダウンやろ……」
Dは顔を真っ赤にして照れ笑いした。

しかし……公立中学の図書室に大藪春彦などあるはずがない。

「ここには大藪春彦の本はないんや……」
するとDは眉毛を下げて泣きそうな顔になり
「やっぱりか……」
と落胆した。
私が鞄から筒井康隆の本を取り出し
「こういうのもない。だから僕は家から持ってきて読んでるんや」
と言うと、Dは目を輝かせて
「あ!ツツイの新しいやつやないか!ユーシン、お前ツツイ読むんか?あ〜いいなぁ。読みたいなぁ〜」
と興奮する。
(こ、こいつは自分でも意識してないかもしれないが、ホンモノの読書家ではないのか?大藪春彦が先生で筒井康隆は呼び捨てなのは気になるが……)

それでも、こんな男とは仲良くできない。できれば疎遠でありたい。だが……まずこの場から逃れなければならない。
私は筒井康隆の新刊を
「これはタダで貰ったものだから、あげる。同じのをもう一冊持ってるから……」
と嘘をつき、本をDに進呈した。

「わ〜い!ツツイやツツイや!ありがとうユーシン!俺はこの恩を一生忘れへんぞ!」
Dが本を抱きしめて走り去っていくと、図書室前の通路に、初冬の薄冷んやりした風が吹き抜けたのだった。

私はこれが縁でDになつかれたらどうしよう……と憂鬱になった。
しかし、Dとはそれっきりになったのだ。
翌週の月曜より、Dを含む三人の不良が登校しなくなり、他のクラスの問題児も何人かまとめて消えてしまったのだ。
公立中学には退学の名目はないが、それに準じた措置が講じられたことは間違いなかった。
教師はこの措置については何も語らず、Dらがどこに行ったのか?は、結局、わからなかった。

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