自分のことと自作のこと
自己紹介はもう書いてしまったけれど、自己紹介にはない自分のことと物語や絵を書くはじまりと今までのことを書きます。
暗く長い話になります。苦手だなと思う方はすっ飛ばしてください。
小学4年生、はじめて自分で描いた物語は、キャンパスの百枚ノートの1ページを、中心からざっくり4つのコマに割った漫画みたいなものでした。
小学生の私は入学当初からいろんな意味で学校が大嫌いだったけれど、4年生の頃には絵がとても上手い友達がいて、彼女の描く絵が好きで、彼女のような絵が描きたくて、なんとか学校に行っていた気がします。
友達は魔女っ子の漫画を、手描きでノートに線を引いて描いていました。
私もキャンパスの百枚ノートを線で割って魔女っ子を真似して描きました。どんなに頑張っても、彼女のようには描くことは出来なくて、それでもずっと描き続けていました。
現実に居場所がなかった自分には、ずいぶん小さい頃から本を読むことと物語を作るのは癖になっていて、図書室や図書館が大好きでした。
当時は、様々な物語が常に寄り添ってくれていたと思います。
学生の頃は、毎日がひたすら長く、長く長く感じていました。
何もできない時間だけが、毎日たくさんありました。
人と関わるのが上手だったら、せめて普通だったら良かった、学校で学びたかった、勉強することの基礎を学びたかったと、今でも強く願います。
あの頃は今より辛かったし、精神的にも格段に病んでいました。
ただ幸いなことに、趣味が近い友達が、その場限りではあったけれど、必ずいました。
彼女たちは、みんな自分の世界を作っていました。
私も物語作りにのめり込むのは必然的でした。
中学校にはほとんど行けませんでしたが、高校には通うことができて、専門学校にも行けました。
けれど10代で発症した障害が影響し、その後は普通は経験するだろういろんなことが叶いませんでした。
30代手前の頃、ある場の理事長に、学生時代を引きずり過ぎだと言われたことがありました。
学生時代、特に思春期に受けた普通は経験しないダメージって忘れないですよ。と言っても、わからない人にはさっぱりわからないようです。
わからないままでいたほうが幸せなことは、世の中に溢れています。
希望は絶望を連れてくる。
その通りに、まれに何かきっかけがあって表に出る機会があっても、それには必ず終わりが来るのです。
専門学生の頃、自分にとって親友だった人はこの世を自分から去りました。
私は二十歳まで生きているとは思わなかったまま、今までを生きてしまいました。
本当に大事なものは見えないのです。
当時死を言いふらしていた自分はゴキブリのごときしぶとさで今を生きているのに、周り皆が彼女が悩んでいたことさえ全くわからなかった。
今でも、自分は現実には居場所はありません。
けれど、歳を取りました。10代や20代、30代の頃よりは棺桶が近い年齢にはなった。
普通は経験するだろう様々なことは出来なかったけど、多分普通は経験しないことは通ってきた気もする。自分が落ちた底辺も知っている。
様々な理由で離れた、成人後行っていた場、それぞれ。離れても、細々続いている関係もあります。
それはありがたいことです。
物語は自分が楽しいことしか書きません。
非現実には、自分は楽しさしか求めていない。
悪役が好きです。悪役が悪役たる所以を書くのも好きで、作中酷いこと平気でやっててラストは断罪されること多めです。
最後まで足掻いて頑張ってたから、コイツはこれでいいんだよ。という、自己完結です。
自分の非現実には現実を持ち込みたくないので、ファンタジーしか書きません。
自作は自分の好きを詰め込んだものです。
他者からは現実逃避の妄想でも、自分にとっては代え難い宝ものです。
自己紹介に書いた、立派なクソババアになりたい理由は、谷山由紀さんが書かれている「こんなに緑の森の中」という作品の、ある人物の願い事と重なります。
歳を取るごと、強くそう思えてくるから不思議です。
年齢を重ねたら、いろんな呼び名の種類があるおばさんよりも、ただ、おばあちゃんという存在になりたいなあと思うのです。
長い話にお付き合いくださりありがとうございましたm(_ _)m
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