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性別適合手術 半年後の現実

(ヘッダ画像)年金手帳は修正ではなく年金番号通知書に変えてもらった方がよいです。

今は傷ついても私は「わたし」。一人称をもう他人に強制されない、怖くない。やっぱり楽。

半年前に性別適合手術(PPV法)を受け、公表せずに埋没して働いてる者です。
今まで、人に考えを話した所で理解されないと思ってきた私が、周りの人を大事にしようと思えなかった私が、社会性を少しづつ身に付け始めてる。

手術後の変化を簡単にまとめると
良くなった: 性格が明るくなった。性への嫌悪感が消えた。自尊心が芽生え、自分を傷つけるような強過ぎるこだわりが無くなった。筋量が落ちたのか冬場の肩こりが減った。
次点: シス女性と話題合わせるまでは、もうあと半年位必要。今は自分の中でジェンダー一致に感動することで一杯。一方シス女性は自分のジェンダーにそんなに感動していない、「女性らしさ」にうんざりしている人もいる。
良くならなかった: 反り腰(筋力不足?)
?: 女性に可愛いと言われなくなった(競争相手と認められた証?)

前回はタイから日本に戻る最中にnoteを投稿しました。今回はその後の話題と前回書けなかったことを共有します。


メンタル面の変化

性別適合手術を受ける前と比べて、後ろめたさや社会との摩擦が消えた様に思える。飛行機が離陸で浮く瞬間のように、軽い気持ちになった。これは日本に帰ってきてから早々に感じた。

手術前は、後悔しないか散々迷った。でも決断した理由は、たとえ「トランス女性」と言われようと、男性で暮らすよりもずっと楽という確信があった。その思いは今でも変わらない、たとえダイレーションのようなアフターケアが必要であっても。

それでも手術室に入るとき、得も言われぬ感情の波が押し寄せた。それは主に、「怖い」と「ごめんなさい」だった。誰もみな、心の中にどこか保守的な信念があって、性別を変えるのが許されるのかという葛藤に強く駆られのだと思う。

そんな心配も、考え過ぎだったように思える。今は社会との軋轢がグッと減って、たとえば、父親一般について、素敵だなと思うようになった。これまでは「お前がなれ、今すぐにだ」と詰められそうで拒絶してたのに。

果たして女性に変われたのか、一抹最後まで腑に落ちない所もある。だけど男性から抜け出せたからそれでいい。

戸籍変更後、ネットの広告の設定を女性に変えたら、下品な広告少なくなって、課金する必要のないアプリやサービスが出てきた、嬉しい。

当然加わる制約(生殖能力)もあるけど、自己像のステージが確実に上がった。一般的に鬱っぽくなると、何食わぬ距離が遠く感じることがあると思うけど、今や都会が近く感じる。失われたものがあったにしても、女として愛される可能性を手に入れたことは、何事にも代えがたい。

子持ちの若い夫婦をみてもイライラしない、微笑ましい。そもそも、もう産めない体なんだから、比べる事自体おこがましい。ふっ切れた。むしろ彼らはセクマイを少子高齢化改善圧から庇ってくれる、ありがたい存在なんです。

性別移行できた感動とタイで感じた熱気はやがて冷める。ただ、毎日服を選ぶ時、自分の心からの希望通りを選べる瞬間は、苦労して手に入れただけあって、いつまでも嬉しさが続いている。

社会性の変化

性別適合手術前は鬱だと診断されてたけど、今はいろんなことが楽しい。友だちが多いと楽しいと思う瞬間がかなり増えた。リア充まではまだ達してないけど。

ただ、コミュニケーションの苦手意識は消えない。回避性はすぐには直らない。そんな中、私が心を保つため大切にしてるのは
1. 笑顔と、一緒に働くシス女性が安心してくれるような気配り
2. 女性が活躍する職場よりも、トランス女性が活躍する職場の方が情報量が多い(貴重)んだと自信を持つこと
3. ジェンダー平等を共に唱えること←

フィジカル面の変化

術後4ヶ月位は、デスクワークを続けると股間両脇に下着が食い込み痛い。解決策には、無縫製ショーツを履くと足回りの縁取りがなくて少し楽になる。ただオールシーズン向けは生地が厚く、特にクロッチの段差が傷跡に擦れて痛いので、夏用サラサラタイプがおススメ。生地も薄いので、締め付けやクロッチの段差がほとんど気にならない。

ダイレーションは病院の指示通り、1ヶ月ごとにサイズアップ。最初の1、2回は苦しかった。けれど、その後は私はサイズアップした時に入口に疲労感を感じる程度だった。

だ が し か し、PPVのダイレーションは、術後3年間は毎日2回、1時間ずつが推奨されてるらしい。石の上にも三年、PPV患者も術後三年。むかし、過労で倒れたことがあって、睡眠時間は十分に取れないと絶対嫌だから、処方された眠剤、睡眠改善サプリと、肌荒れしない程度のカフェイン(コーヒーは昼まで、それ以後は基本紅茶)でなんとか規則的な生活を保ってる。起きたら遅刻だーー(狂乱)!って朝ダイレをすっぽかすことも稀にあるけど、1回くらいなら大丈夫そう。朝のメイクとダイレは同時並行。ベッド脇にアーム付きの鏡を置いてる。

デスクワークの姿勢、座った状態をキープする力の入れ方、半年くらい取り戻せず落ち着かなかった。内側の太ももとお腹周りの筋肉が落ちてたと思う。整体で以前教えてもらった、姿勢改善のためのエアー椅子トレーニングで感覚取り戻した。

下着の中の話、術後すぐは幻肢?なのか、明け方股間に血液が充満していて、朝勃ちのような感覚が残っていて嫌だった。ただ、今ではその股間の筋の緊張が、膣の弛緩として日夜自由自在に操れるようになっている。男性器があった時の感覚は最終的には消え去った。

行政での性別変更の手続きのコツ

私は行政関係完全に無知でした。
戸籍謄本=戸籍全部事項証明書。住民票は別物で、持って行っても門前払いされる。
若い人はこれだけで裁判所で性別変更を受け付けてもらえるかもしれないけど、1994年以前に生まれた人は、さらにハラ(原)戸籍と呼ばれる書類にも記録があるから、あわせて提出を求められる。ハラ戸籍は、役場の人によっては「縦書きのやつ」と説明される。コンビニでは発行してくれなくて、役場まで出向かないと出してもらえない。

雇用、休職、うつ病

雇用を維持したまま性別移行完了までたどり着けるか、正直きわどかった。
今の会社で働き始めた頃は、男性として出勤してた。だけどやっぱり馴染めなくて、でもなぜか業務量は日に日に増して、時の流れは残酷でおっさん化が止まらない。こんな生活は続かない。やがて町医者で高ストレスによる適応障害の診断が下り休職をもらった。
ここでジェンダークリニックの予約を取った。もうそれ以外道はないと思った。最大休職期間が刻一刻と近づく中で、結局ジェンダークリニックでの診断が下りない(自分史の確認中)まま、無理に復職を実施、街には健康的な男女が闊歩していて、自分と比べ、いよいよ希死念慮が芽生えてくる。
結局うつ病と診断され、会社が認める休職最大期間を迎えた。人事から「どうしますか(やめますか)?」と聞かれ、医師からは「元居た環境には戻れない」と言われた旨を伝えた。ただ救いだったのは、この時にはもう性同一障害の診断も下りていたので、事情を説明した所、在宅勤務の許可が下り、何とか性別適合手術に向けて、働き続けることができた。
手術中に業務を支えてくれた同僚には、感謝の意を込め、ラオス(タイの隣国で文字も同じ)のお土産と伝えてお土産を渡した。長期休暇でタイと言うと、さすがに性別適合手術と察されるので。

以上、最近人生のステージが変化してきたので、渦中で感じた感情を忘れてしまう前にと書き残しました。

この記事を読んでくれた方の、心の混乱が治まり、平和が訪れますように。

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