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『痛みと悼み』 十七

「とても大事に梱包してもらっているのが見てわかったよ。捨ててしまうのに、あんなに丁寧に梱包するんだね。」
 めぐむは、少し俯いて言う。
 「いいえ、それが仕事ですから。」
 それは、嘘ではないが、本当のことの全てでもなかった。めぐむには、一つ一つの遺品の整理が自分のための仕事でもあった。あのときできなかった黒い影にまつわる整理の代わりに。だから、一つ一つのものを、手にとって何かの祈りとともに、段ボールに梱包する。でも、それは人に言うべきことではない。
 男性は、そのめぐむの言葉に含まれる何かの表情をわかっているようににっこりと微笑むと、ズボンの尻ポケットから軽く折れ曲がった名刺を取り出す。
 「良かったら、いらしてよ、うちの教会に。私はそこで牧師をしてるんだ。」
 男性が手渡す名刺には、短く男性の名前と牧師の肩書き、そして教会の名前と住所だけが記載されていた。場所は、練馬の倉庫から車で西に1時間くらいの郊外だった。
 「こちらには、どうしていらしたんですか。」
 「車で来たんだ。兄貴から送れてきた本を見て、びっくりして倉庫の場所を確認したら、案外遠くなかったので助かったよ。」
 「そうですか。その本、お好きだったんですね。」
 男性はそう言われて、大事に胸に抱えた本を改めて持ち直すと、恥ずかしそうに微笑む。
 「一応、これでも人に説教をするいい年をした牧師なのに、母親の形見に慌てるのもカッコ悪いんだけどね。」
 子供のような笑顔。めぐむは、恥ずかしそうに少し俯いた男性を見て、ふと言葉が口をつく。なぜ、そんなことをいったのか、自分でも意外だった。
 「今度、礼拝にお邪魔してもいいですか。」
 男性は、驚いたように目を軽く開けると、少し間をおいて言った。
 「喜んで。神は、誰にでも扉を開かれている。特に、君には感謝しているから、歓迎だよ。」

 めぐむは微笑むとぺこりと頭を下げた。男性も、微笑んで会釈をすると、シャッターから少し曇り空の外に出て、めぐむに片手をあげると右に折れて消えていった。
 なぜ、礼拝のことなど言ったんだろう、めぐむはクリスチャンでもない。あの死の淵を覗き込んだ後でも、神を崇めるようなこともない。ただ、自分自身の中でも、何か祈りたくなるような、それを頼りにする気持ちはわかるような気がする。でも、自分からそんな場所に近寄ることは思いもしないのに、あんなことを言った。それは、もしかしたら、なんだか対照的な兄とこの聡二さんという富永兄弟の不思議な組み合わせに興味を持ったからかもしれない。
 めぐむは、シャッターの半開きになった通りを眺める。そこには時折静かに車が通り過ぎるだけの、厳しい暑さがマシになり出した9月下旬の静かな午後だった。

第4 分け与えるもの 
 めぐむが教会を訪れるのは初めてだった。その教会のことを事前にネットで調べると、いかにも慣れない人が作ったようなホームページには、簡単に礼拝の時間と時折行われる教会でのチャリティのことが書かれていた。ホームレスの人の支援や炊き出しについて、案内やボランティアを募集する記載もあった。兄の方が言っていた、ホームレス支援を行う貧乏牧師という言葉が、脳裏に浮かぶ。
 めぐむは、社長にお願いして、その日空いていた会社の軽トラックを借りて運転していった。痩せた体の線が分からないようにゆったりとした膝丈の白いシャツワンピースに洗いざらしのジーンズ、素足に白いデッキシューズを履く。首都高速を使わず、環八から西に折れて下道を進む。日曜日の朝早くは、人も車もまばらだった。東京は、コロナの感染者の数がうなぎのぼりに増えていて緊急事態宣言が出されていたが、9月下旬になぜかその数が激減して、その月の末には解除されるのではないかとそんなニュースもチラホラと出ているころだった。そんな9月の最終日曜日の朝早くは、車も人もまだまばらだった。
 西に進むにつれて、左側の工業地帯の埋立地や煙突が見えてきて、街の色が灰色に変わっていく。人の心の色も、西に進むほど何かどこかが変わっていくような気がして、その境目をどこで超えたのかが、めぐむにはわからなかった。