17 「イリーガル探偵社 闇の事件簿」 愛人宅を荒らされた「記者」
「追跡4」 愛人宅を荒らされた「記者」
夫の不倫関係を終わらせてほしい
ここからは、「復讐を依頼したマスコミ関係者」として、「再現」した案件を追跡した経緯を記してみよう。
「依頼人は報道関係者の女、狙った相手は新聞記者である夫の愛人」などと聞くと、うさんくささも感じてしまい、竹中の脚色ではないのかと何度も疑った。
いやしくも報道関係者たる女性が、「イリーガル」などという名前の探偵社に、しかも数百万もの金を払って夫の愛人に復讐するような依頼をするだろうか。ガセではないかという一部の友人らの指摘は、まっとうな観測に思えた。多くの犯罪歴のある竹中の告白の信憑性を疑うべきであるという意見もあった。いくら夫の浮気で感情的になったのだとしても、報道関係者が大金を払って復讐を依頼したり毒薬を使うことに同意するはずはないはずだと。
わたしにも確信はなかった。
調べてみると、たしかにその新聞記者が書いたと思われる記事が見つかった。だが、その妻であるカオリの当時の職業については、竹中には報道関係者か何かという程度の記憶しかなく、いま何をしているのかがわからないでいた。そのような状況では先に進めない。追跡するにも無理があった。
そこでわたしは「殺人依頼した可能性もある」として、知り合いの新聞や雑誌の記者に頼んで彼女のことを探ってもらった。
判明したのは、「マコトはすでにカオリとは離婚して、いまは別の女性と再婚して子供もいる」ということだった。
混乱したのは、カオリが仕事上で使っている氏名と、本名が微妙に違うことだった。
カオリは、普通高校に入学、米国のワシントン州にある公立高校に留学、東京外国語大学のポルトガル・ブラジル語学科卒業し、そして地方のテレビ局に入っていた。
驚いたのは、そのカオリが竹中と会ったころには、フジテレビのロサンゼルス支局長だったことだ。まさかである。カオリはその後、転職し大手外資系のメディアに所属し、現在も活躍中であることもわかった。公開プロフィールを見てみると「警察担当、司法担当、県政、国政選挙担当などを経てロサンゼルス支局長として米カリフォルニア州で特派員を務める」という記述もあった。
なぜ、竹中らがマコトの愛人宅に不法侵入したときに、すぐさま被害届が警察に出されていたことをカオルが知っていたかの合点がいった。カオルは実行日と被害者氏名、その住居を知っており、そういう報道機関のポジションならば、「被害届け」の有無を知ることぐらい容易だったと思われた。
竹中がカオリについて帰国子女と言ったのも、あながち間違いではなかった。留学経験があり語学も堪能で、ロサンゼルスに単身赴任していた経緯も確認できた。
「どう思う?」
わたしは同僚のK女史に聞いた。彼女も驚いていた。
「いま彼女の経歴や仕事内容をインターネットで見たけど。すごく優秀な人ですね。竹中さんに何かを依頼したのは事実だとして、本当にそういうことを依頼したのかなあ。たとえそうだとしても彼女は認めないだろうし、いくら竹中さんが依頼を受けたと言っても証拠はないわけですよね。とても昔の話ですし」
わたしとしては、そんな昔の事件で、いまさら依頼人であるカオリを問い詰めたいわけではない。本当に依頼したのか、アサクラの毒物による被害はあったのかどうかである。
マコトの現在の勤務先はわかった。カオリの自宅もわかった。ここから先は当人に聞くしかない。わたしはマコトを訪ねていって、直接、聞いてみようと思った。
話を聞く相手であるマコトは、加害者ではない。不倫していたとはいえ、自分の愛人が命を狙われたという点においては、マコトは被害者側である。
竹中らが使ったものがアフラトキシンであれば、その当時の愛人が病気になり死亡している可能性もある。あるいは、その愛人とはもう別れたかもしれず、別の女性と結婚して子供をもうけたのかもしれない。あるいはその愛人と結婚して子供を授かった可能性もある。一方で、アフラトキシンとはアサクラの真っ赤なウソで、竹中がアサクラにだまされており、マコトの不倫相手の女性はぴんぴんしており、マコトはその女と遊び続けていたのかもしれない。
推測し始めるときりがなかった。関心を持っていた週刊文春の記者は、「こういうケースでは、やっぱり当事者の自宅をピンポンするんですか」と聞いてくる。こんな場合どうすべきか聞きたいのはこっちのほうだった。「自宅がいいのか勤務先がいいのか、どっちですかね」と逆にわたしが聞き返した。
「わたしも一緒に行ってもいいですよ」
好奇心旺盛なK女史も、同行することになった。
2018年1月26日、その日の朝は寒かった。
前日の最低気温はマイナス6度で雪が積り粉雪が舞い上がっていた。積雪に慣れていないわたしとK女史は、少しの雪でも足を取られてしまう。おぼつかない足取りで雪の上を一歩一歩踏みしめて歩き、なんとか転ばずにマコトが勤務している新聞社にたどりついた。
2階に上がり扉を開けるとすでに数人が仕事をしている姿が目に入った。女性に、記者を訪ねてきたと伝えると、すぐに本人に取り次いでくれた。
「すみません。少し教えてほしいことがありまして。東京から来たんですが。えっと、ちょっとお話を聞かせてもらっていいでしょうか」
わたしはいつもよりも早口で高めのトーンで、そう言った。教えてほしいことがあるというのは、ベターなアプローチに違いなかった。
相手にとってみれば約束した覚えのない者が自分を指名して訪ねてきているのである。早く要点を切り出さないと追い返される。応接室に通され、マコトがソファーに腰を下ろすと同時に、わたしは切り出した。
「つかぬ話なのですが。2005年ごろのお話をお聞きしたくて」
「2005年ですか、はあ、ずいぶん前ですね」
招かざる客である。話の内容によっては少しでも早く追い返したい。そんな気持ちが伝わってくるほど重い空気が応接室に漂っていた。
「そのころお知り合いの方が、泥棒に入られたとか。あるいは家が荒らされたようなことはご記憶にないでしょうか」
わたしは腕を組んで少し下を向いた。変わらず重い空気が流れている。K女史の顔もこわばっている。
「ちょっと、記憶にないんですけど……。はい」
唐突な質問に対応しかねている感じでもある。
「その、家を荒らされた被害女性を探してるんですよ」
「はあ、そうですか……」
言葉こそ丁寧ではあるがマコトの表情は明らかに「こいつはいったい何を言っているんだ」と気味悪がっていた。
静まり返った時間はとても長く感じた。
「マコトさんの名前が出ておりまして」
わたしは、あえてゆっくりとそう言ってみた。
「はあ。なんの関係で? ちょっと。よくわからないんですけれども……」
古い記憶にあったものとは?
話が途切れてまた沈黙が生まれた。
相手は忙しい新聞記者である。朝からアポなしの突然の訪問者に意味不明の質問をぶつけられたのでは不機嫌にならないほうがおかしい。
わたしもかなり緊張していた。すでにこの訪問は不発に終わったと思い退散を覚悟していた。
であればこそ、少し強引にでも聞きたいことを聞くしかない。このままではがあかない。そうわたしは判断した。もしマコトが腰を上げて話を終わらせたらチャンスはなくなる。
怪訝そうな表情を見せているマコトの前に、わたしは、そっとカオリの運転免許証のカラーコピーを置いた。
「こういう方はご存知ですよね」
まるで刑事ドラマのようなやりかただった。
「あ、わたしの前の妻ですね。はい」
少し身を乗り出し、マコトはカラーコピーをじっと見て、あっさりとそう答えた。
前の妻ということは、やはりマコトはカオリと離婚している。いきなり元妻の若い頃の免許証のコピーを見せられ動揺を隠せないマコトに、わたしは早口でこう説明した。
「そうですか。その以前の奥様がですね、まだ結婚されているときですけれども。自分の夫が浮気をしているので復讐したいということで。復讐の代行をしていたイリーガルという探偵会社に数百万円ものお金を払って、当時、マコトさんがお付き合いされていた女性の部屋に毒を撒いて、殺してほしいと依頼しているんですね」
すると、マコトは身を乗り出し目を見開いて大きくうなずいた。
「ほう、ほう、ほう……」
関心を示したのか思い当たる節があるのか、なんと相槌を3回も打った。
「わたしとしては、その女性の被害を知りたいのです。そのとき浮気をされて付き合っていた女性というのは、もしかしたら、いまの奥様なんですか」
かなり単刀直入な質問だった。マコトやカオリのことをいろいろな人を通じて聞いていたものの、カオリとの離婚後に、マコトがその愛人と再婚したという決定的な話はなく、本人に聞くほかはないと思っていた。
「そうなんですよ」
あっさりとマコトは肯定した。マコトは、当時は浮気相手だったその愛人と結婚していたのだ。あまりにマコトがすんなりと認めてしまったので、わたしは戸惑ってしまった。わたしは次に発するべき言葉を頭の中で慎重に組み立ててから、ゆっくりと言った。
「では、ですね。その、いまの奥さんが住んでいたところに、泥棒が入ったようなことはありませんでしたか」
あえてわたしは、そのように、もう一度聞いてみた。
マコトはわたしの顔を見て、少し上を向いて、またわたしの顔を見た。そして「泥棒というか……」と言いかけて言葉を詰まらせた。
やはり、何かがあったのだ。隠しているというよりも古い話を何とか思い出そうとしているようだった。
また沈黙が続いた。
次はアレを出すしかないなと思ったわたしは、マコトが押し黙って言葉を選んでいる間に、カバンから、カオリが書いたものと思われるイリーガルへの「調査申込書」のコピーを取り出してテーブルの上にそっと置き、よく見えるように右手でマコトの前に押し出した。
この「調査申込書」には依頼内容は書かれていない。だがカオリが復讐を代行していたイリーガルに、マコトと愛人とを別れさせるための工作を依頼をした直筆の証拠である。マコトは真剣なまなざしで依頼書に書かれた文字を目で追っていた。
わたしはカオリの書いた文字を指差しながら言った。
「前金で270万円払ったことが、ここに書いてあるんですけど。これは前の奥様の書いた字に間違いないですか。そしてこちらに、あなたのお名前や住所、電話番号などが書かれていますね」
「はい、そうですね。たしかに前の妻の字ですね」
思い出しているのか話すのをためらっているのか。また数秒の間を置いてマコトは言った。
「そういえば、いま、いろいろ聞いていて思い出したんですが、家が荒らされたというのがありましたね。物は盗られていないんですけど」
「やはりそうですか」
当たりだった。わたしは、膝の上に置いた拳を強く握りしめていた。ここまで来た甲斐があった。もし何もなかったとしたら、竹中がわたしに数年間、ウソを言い続けたことになる。
「それで、すぐに警察に被害届を出したと思います」
マコトのほうからそう言った。
竹中の話では、警察に被害届が出されたことをカオリはすぐに知っていたという。カオリがどういう方法を使ったのかわからなかったが、恐るべき情報力だったと言っていた。もしフジテレビの支局長だったならば、そういうことも可能なはずだった。
だがわたしが当時の記事を探しても、そういう話は見当たらなかった。
「警察に届けたんですね」
「ええ」
やはり警察に被害届も出したという。泥棒の常習犯を雇いガラスを三角割りで壊させ、留守宅に侵入させたというのは本当だった。刑法261条の器物損壊罪、刑法132条の住居侵入罪となる不法行為はあったのだ。
しかも実行犯はさんざん家を荒らしており、「アフラトキシンなるカビ毒を散布させた」と竹中は言っていた。当時、これが発覚していたならば、竹中や実行犯、そしてマコトの元妻であるカオリもただでは済まなかったはずだった。
毒物による被害はあったのか?
あとは毒物による被害があったのかどうかを知りたかった。
「それからあと、奥様はご病気になりませんでした?」
「病気に? いまの妻が?」
「ええ」
「なっていないと思います」
「具合が悪くなったり入院されたりは?」
「それもないですね」
とするとアフラトキシンなる毒物は撒かれなかったのか。それとも毒物だという液体はニセ物だったのか。
「住んでますか? そのあと、そのアパートの部屋に」
「いえ住んでません。警察に相談したら、それはすぐに引っ越したほうがいいという話になりまして。もうすぐに。もうすぐに引っ越しましたね」
「それは良かったですね」とわたしはそんな答え方をした。
すぐに転居したことで、アフラトキシンの被害が出なかったのかもしれない。そうも考えた。
もっと当時の事情を教えてもらうためには、さらにこちらの持っている情報を提供するのがいいと思った。
「実はですね、アフラトキシンというカビ毒、肝臓疾患を誘発するような毒を、その部屋に散布したという話もありまして」
「それはアフラトキシンというんですか?」
マコトは手帳を取り出して、「アフラトキシン、アフラトキシン」と小声で言いながらメモをした。いかにも新聞記者らしい素振りだった。
「歯ブラシから、エアコンの吹き出し口から、飲み物に。ええ、いたるところにそういうカビ毒をかけたらしいんですよ」
メモを取りながらマコトはわたしのほうを向いて言った。
「そうなんですか。でも当時、妻に急性被害は出ていなかったと思いますね」
「それは良かったです」
「ええ。すぐに引っ越しをしたからわたしたちは健康ですが。それこそ次に部屋を借りた方がね、そういう病気になっている可能性もありますよね」
マコトは次に借りた部屋の人を心配した。
「でも、前の妻をかばうわけじゃないんですけども、たしかに彼女はエキセントリックなところもありますけども。まじめな、かしこい女性なんですよ。仕事もすごくできます。たまたま、わたしとうまくいかなかっただけで」
前妻をかばう姿勢はかなり好印象だった。K女史のほうを見ると、彼女もすっかり緊張が解けた様子で頷いていた。
すべては筒抜けだった
ここからマコトは、まったく予想外のことを話し始めた。
「実はですね、前の妻がですね、いろんな探偵を使っていたのはわたしも知ってました」
「知ってたんだ」「知ってたんだ」
わたしとK女史はハモるように復唱していた。
「知ってました、知ってました、知ってましたとも」
マコトは、また、3度、繰り返した。どうやら3度も繰り返すのは、この人の、すごく驚いたときのクセらしい。
「どうしてわかったんですか?」
「あれですね、なんか尾行されると、わかるんですよ。なーんか、これ、おかしいなって」
「そんなものなんですか」
「わたしが不倫状態だったときに、アパート(愛人宅)に行くと、『あんた、いまどこにいるの』って、妻のカオリから、アメリカからすぐに電話かかってきましたもんね。どうしてわかったんだろうって。これで、(探偵から)尾行されてたんだなってわかるわけですよ」
「そうなんですか」
「ドライブしていたときも、『あんた、いまどこにいるの』って言われて。いろいろ、人を使って大掛かりにやってるなと思ってました」
「いやー、それは怖いですね」
わたしは男としての定番の反応をしていた。不倫をしているのは悪いにはちがいないが、しているほうからすれば、これほど怖い話はないからである。
彼の行動は、(竹中とは別の)日本の探偵社を通じて、当時の妻、カオリにすべて筒抜けだったわけである。イリーガルにも前金として数百万円もの金をぽんと払う女である。何人もの探偵を使って夫を監視していたとしても不思議ではない。
マコトは思い出したように話を続けた。
「そのあとに、今度は彼女のアパートが荒らされたんです。少なくとも、そういう事件があったことは確かですよ。アパートは1階でしたしね」
「あー、そうなんだ」
応接室に通されたときの張り詰めた空気はすっかりと消え、話は自ずと進んでいった。マコトにとっては、すでに忘れていた過去のことが、次から次へと蘇ってくるのだろう。
だが冷静には見えても内心は複雑なはずだった。
「あまりにもカオリが探偵を使っていることと、そのあとに、このひどく荒らされる事件があったんでね。どうもカオリが怪しいと。人を使って何か激しいことやったんだろうとわたしも睨んでたんです」
マコト自身、当時の愛人、すなわちいまの配偶者の自宅が荒らされたときに、カオリの犯行を疑っていたというのである。
「それで、わたしは聞いたんですよ。『お前、人を使って何かやっただろう』と。そんなふうに問い正したんですよね」
「どうでした、そのときの元奥様の反応は?」
「なによ、それって。そう言われてしまいまして。証拠はないし探偵使ったとも言わないし。彼女なりに追い込まれていたんだろうなって。僕も、もうそこを追及してもしょうがないなっていう感じで」
睡眠薬の混入と性病菌の塗布
わたしは自分の唇を右手で触りながら次の質問を考えていた。そういうふうな(口を触る)わたしの仕草は、悪いクセでもある。
竹中は2005年の7月末にZ会事件を起こし、翌年の2月末に逮捕されている。この「調査申込書」の日付は10月25日なので、Z会事件から約3か月後に、カオリから依頼を受けたことになる。一方、カオリは2003年から2006年の夏まで、フジテレビのロス支局長をしていた。
「その時期っていうのは、その、彼女がフジテレビのロス支局長のときですか?」
「はい。ロス支局長時代に。すでにもう日本で探偵を使っていたはずですよね」
そのことも、あっさりとマコトは認めたのだが何か腑に落ちないような表情をしている。竹中によればカオリと最初に会ったのは成田空港で次に会ったのはイリーガルの事務所だったという。
「成田空港の近くで、その探偵と会ってるんですよ、元奥様は」
「わたしの知らない間に、一時帰国とかしているんでしょうかね」
カオリがいつ何度帰国したのかも想像がつかないようだ。古い話でもあり、すでに夫婦関係が破綻し、マコトもまた新しい愛を育んでいた時期だということを考えると無理のないことかも知れなかった。わたしは竹中から聞いたままを話した。
「何回か、探偵と会っていて、探偵とは東京や埼玉で打ち合わせをしたり、新幹線の中でも打ち合わせしたりしていたようです」
そう告げるとマコトはつぶやいた。
「新幹線の中で? ドラマみたいでかっこいいな。いや、かっこいいなってのはどうかな。狙われてたんだもんな。オレ」
基本的には軽いノリの人なのだということがわかってきて、わたしも気が楽になった。浮気性というよりも、こういう人だからこそ女性にモテるのだろう。
性病菌の話は、かなりウソっぽい話だったので内心戸惑いもあったのだが、一応、質問してみることにした。
「ヨーグルトに睡眠薬を入れて飲ませて。眠った間にマコトさんのパンツを脱がして性器に淋菌を塗ったという本当かどうかわからない話もあるのですが……」
竹中がカオリから聞いたという話をそのままマコトにぶつけてみた。言っているわたしのほうが下品に思われそうな話である。
「えっ、えっ、何をしたっていうんです、このわたしに」
「淋菌、あの性病菌とか」
「性病菌? わたしに? そうなんだ……」
当時愛人だった現在の妻の家に毒物が撒かれたという話のときよりも、マコトは、さらに驚いた様子である。
「はい。睡眠薬をヨーグルトに。あの、ヨーグルトとかって飲むんですか?」
「そりゃあ、出されれば飲みますよね。家のなかで飲むものに、まさか睡眠薬が入ってるなんて思わないじゃないですか」
マコトは、そんなふうに答えた。
「ヨーグルト飲んで寝てしまった記憶とか」
「いつも酔っ払ってましたからね。記憶にないですね」
「淋病になった記憶も」
「ないですねー。でもおかしいな。その時期は、カオリはずっとロスにいて一度も帰ってきてないんですよ。だから一緒にいたことはないし」
「でも、竹中という元探偵は日本で会っていると言っているんです。何度も」
「彼女は、仕事が命の人で。日本に帰ったりすると会社からの評価が下がるからと、長期休みも取りません、取っても日本には帰りません、だからあなたが来なさい、といった感じの人なので。わたしのほうが、けっこうロスに行っていたんですけど」
竹中もまた、カオリに淋菌や睡眠薬なるものを渡したのであって、使用する現場にいたわけではない。ヨーグルトに睡眠薬を入れたというのも、パンツを脱がしてすり込んだというのも依頼人であるカオリから聞いたとのことだ。
とするとその話は、カオリのウソか竹中の創作だろうか。密かに一時帰国してマコトを昏睡させて行ったものなのか、あるいはロスに来たマコトに使ったのか。あるいは竹中が会ったのはカオリではなかったのか。
竹中は当時、免許証の写真と本人の顔を見比べているので、竹中の会った女が代理の女のはずもないだろう。
竹中によれば、カオリはこの依頼をしたとき「自分とは寝ないくせに、旦那は相手とばりばりやってる」と言ったという。浮気現場もまた筒抜けだったのかもしれない。
「元の奥さんが、それほど探偵を使ったのは浮気の証拠を押さえるためですか」
一般的には浮気調査において発覚した行動記録や写真などは、浮気の証拠として使われることがある。
「裁判は負けてますけどね。和解してますけどね」
マコトはわたしの質問に肯定も否定もしなかった。
「不倫だから、大金を持っていかれましたか?」
「もちろん、もちろん、もちろん、何もかも」
「調停は時間がかかったでしょう」
そんな話でわたしはこの日の訪問を終わらせようとした。
「だって東京の家裁まで行って調停して。大変でしたし。けっこう長かったんですよね。離婚調停が成立したのは2009年とかですからね」
ちょうど竹中が網走刑務所で服役しているころだ。
「大変でしたね」
「そののちに、カオリが住むようになったいまの東京の湯島のマンションも、実はわたしが選びに行ったんですよ。狙われてるのも知らないでね」
マコトはふうっと息をついた。
「オレも人がいいというかなんというか。そこだって敷金とかわたしが出してますよ。考えてみれば、それも狙われたあとですね。それにしても盗聴したなんていうのは、まだわかるけど。そこまで危害を加えようとしたってのは、びっくりだなあ」
わたしにはすでに、カオリの自宅住所も勤務先もわかっている。だがマコトはカオリのことを悪く書かないでほしいと言った。
いまの奥さんの話を聞かせてほしいとも頼んだ。だがそれも「勘弁してください」と言う。わたしにはこれ以上、強要できる権利はない。
その日の夜、マコトを誘って近くの居酒屋で軽く酒を飲みながら小一時間、三人で世間話をした。そこでは、たわいもない話に終始した。マコトは別れ際にこう言った。
「思うんですけど。その竹中という人が毒物を撒いたというのは、やっぱりウソじゃないかなと思いますけどね」
新聞記者としての勘なのだろう。わざわざその言葉を残して、マコトは千鳥足で歩いていった。
後日、マコトからわたしの元に、秀逸なノンフィクションを収めた著書が送られてきた。その本は大きな賞を受賞していた。
(つづく)
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1 「イリーガル探偵社 闇の事件簿」 序章
奇病・ターキーXとアフラトキシン