過去の自分との決別

 過去の自分との決別は、単に物を捨てる、写真を消す、思い出となるものを忘れるということではない。実際、「捨てる・消す・忘れる」は決別の一種かもしれない。だが、決別をするに当たって、過去の存在を無くすことが正解だとは思わない。
 決別というのは、別れを告げるなどの意味を持つ言葉である。別れを告げる方法はこの世に数え切れないほどあるが、その全てが正解であるとは思わない。
 例を挙げると、過去と別れを告げる方法として、最初にも挙げたが、「捨てる・消す・忘れる」などいわゆる痕跡を無くすことが代表的な例である。しかし、決別というのは、痕跡を全て無くすことではなく、痕跡を全て残し、過去を振り返りながら、反省を活かし、そして前に進むことであると考える。
 言葉だけをみると非常に難しく思えるかもしれない。だが、ここで挑戦しなければ決別ということ自体できないのかもしれない。痕跡というのは貴重な財産であり、そして経験となる。それを無くしてしまうとなにも得ずに次へ進むことになる。もしかしたらそのせいで同じ過ちを犯すことになるかもしれない。
 人は誰しも過去との決別をする瞬間が訪れるはずだ。それが既に訪れてるかもしれないし、今この瞬間かもしれない。はたまた来年、再来年に訪れるかもしれない。だがその時に「己と向き合うことができるか」それが過去の自分との決別ができるかの分かれ道であると考える。決別をするのは自分であり、相手ではない。行動を起こさねば決別などできないし、その行動が正しいかもわからない。それこそがニンゲンのあるべき姿である。挑戦はニンゲンのできる特権であり、そしてニンゲンの義務である。
 挑戦し続けること。それこそが過去の自分との決別となり、新たな自分を見つけることになる。決して過去の痕跡を無くそうとしてはいけない。今あるこの限られた経験という手札を使い、そして前へ進む。これが過去の自分との決別であるのだ。

あとがき

最後まで読んでいただきありがとうございます。初投稿とはなりますが、かなり頑張って書きました。最初と最後で一致しないところがありますが、まぁそこは御愛嬌ということで…それはさておき、この文章を書こうと思ったきっかけは、文章中にも書きましたが、『人は誰しも過去との決別をする瞬間が訪れるはず』今の自分の状況がこれです。最初はものを全部捨てて新しいステージに進もうと考えていたのですが、いろいろ考えるうちに、「これ捨てたらだめじゃね?」となり、その思いを忘れないうちに書こうというのがきっかけとなります。最後になりますが、この文章を読んでいただいた人に少しでも響いたらいいなぁと思っています。

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