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自分は出来損ないだ。

おはようございます。昨日は体調がすこぶる悪くダウンしてしまいました。
その分早起きができたのでヨシ!と言った気持ちで1日がスタートです♪


自分は出来損ないだ

と悩む日はありませんか。私、常にです。
そもそも私の人生自体が、「華がない」んですよね(笑)

適応障害

突然ですが私は適応障害を持っています。
適応障害とは、自分の置かれた環境にうまく慣れることが出来ず、不安感や抑うつ気分、不登校、出勤拒否、対人トラブルなど、様々な症状・問題が出現し、社会生活に支障をきたす状態のこと。特に就学や就職、転職、結婚、離婚など、生活環境が大きく変わった際に発症しやすいと言われています。今も薬である程度コントロールして自分と向き合っています。

結婚を機に大阪へ

私は結婚を機に、三重県を出ています。
大学卒業後は、1年半大阪の都心部で音楽教室の先生をしたり教会のフルーティストなどの演奏活動をメインに生計を立てていましたが、コロナで色々ストップしてしまったため、母の住む地元の三重県に帰りました。
三重での教員生活はある程度私の演奏技量を知っている方ばかりで非常にやりやすかったのと、演奏活動にも「先生の名誉になる」という意向を持たれていたところ、車通勤OKなどと割と寛大なところが好きでした。

大阪は厳しかった

大阪に来てから、育児休暇の先生の穴埋めに入ったこともあり、色々と制限がかかるようになり(そもそも演奏活動NG)、毎日灰色のような生活をしていました。
何をするにも「〇〇先生(育児休暇の先生)が戻ってきた時のことを考えて」「〇〇先生はこうしていた。」の言葉ばかり。
反動で育児休暇の先生が指導を入れることができなかった部活指導に熱を入れていました。夏のコンクールでは学校初の金賞を受賞したことで生徒や保護者からの信頼度は増しました。

ちょうど大きな2つ行事を動かしている時に、教員採用試験も重なりストレスがピークに。爆発した私は校長室へ辞表を提出。もちろん校長先生は教員採用試験が最終面接まで行っている私を簡単には辞めさせてくれるはずもなく(笑)

今思うと、自分を受け入れてもらえない環境に嫌気がさしていた

私は所詮「〇〇先生の代わり」という意識が芽生えてから、部活指導力で反抗したりしましたが、所詮「〇〇先生の代わり」でしかなかったという現実。
毎日、「私が悪い」「私が要領が悪いから」「〇〇先生みたいになれないから」と責めていました。生徒と保護者だけが気持ちの支えだったように感じます。

今思うと、組織としては「終わっていた」と思います。

今の私

4月に死ぬほど勉強してようやくなることができた初任教諭で勤務した学校も、部活動の外部指導者の手口が「自分の名誉」のために顧問や生徒をコマのように動かす方で、汚すぎて、こんな人間と繋がっているという事実が無理すぎて思い切って退職しました。
今の私は、全然違うフィールドで動いていますが、ずっと心地良い。
関わる人間もある程度コントロールできますし、「私が悪い」と言う意識は減ってきたように感じます。

それでも辛い日は辛い

やっぱり講座生の中でも「自分は出来損ないだ」と思います。でもよく考えたら私「昔」からなんですよね、特に「やり始めのこと」にスポットライトが当たらないの。
地味に地味に地道に何年も努力してきたから、ピアノもそこそこ弾けるし全国大会で賞に入るくらいにはなれた。
こんな私、幼少期はコンクールには結構何回も涙を流しています。華々しく輝くことなんて出来ない幼少期でした。大学でもオーディションに落ちたり選ばれなかったりで練習室でよく泣いていました。大学時代はようやく卒業前に才能が顔を出してきたぐらいでした。

こういうことがかなりストレス負荷がかかることは幼少期からの積み上げで知っているので、「新しいこと」を始めるということに対して、私は人一倍抵抗があります。だってまた辛い思いするのは目に見えてますから(笑)

ふと今日感じたのは、「私が見ている世界は本当は存在しないのかもしれない」と言うこと。
これ、なんかの映画であったよな…あ、マトリックスか!と一人でくすくす笑っていたのですが。マトリックスの設定が「自分が生きていると思っていた世界はすべて、コンピューターが見せていた虚構であり、現実には、家族も友人も会社も仕事もいっさい存在していなかった」と言う設定なんですよね。

いつも華々しく輝けない世界は本当は存在していなくて私だけが見ているもの。
ここに耐えられたらきっと何かは手にできる。
今までだってそうだった。何も恥ずかしくない。だって私しか知らない。
そう思うとちょっと楽になれた。


いつも読んでいただきありがとうございます♪






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