かわいくなりたい理由は壮大
「美容院に行くとき、君はいつも楽しそうだね」と夫は言う。
あたりまえだ。わたしは、こう願いながら美容院に行くのだから。
「生まれ変わりに行く。わたしの世界を変えるんだ」。
*
日々に溢れる“生まれ変わる瞬間”に、これまで何百回と救われてきた。宇宙が生まれてから今の今まで、時間は一本の川の流れのように絶え間なくぬるぬると進んでいるはずだが、不思議なことに人間にだけは“区切り”がある。年末年始、誕生日なんかはその代表で、「心機一転!」「今年こそは○○なわたしになる」と宣言が溢れる日だ。たった1日、たった一瞬をまたいだだけでまるで“生まれ変わる”と信じているかのような、その安易な心がわたしは大好きで、実際、頼りにもしている。嫌なわたしも、変えたいわたしも、この日を境に離れられるなんて、なんて寛容な心持ちだろうか。
あっというまに落ち込み、なにかをクヨクヨと引きずりがちな精神力の弱いわたしには“生まれ変わる瞬間”が人一倍必要で、日常にも多くその瞬間を忍ばせている。
たとえば“朝”もそう。
いちにちのわたしを、夜のあいだにしっかりと終えて眠ることができれば、目が覚めたときには、新しい命になっていると信じられる。昨日と同じ失敗はもうしないし、昨日は難しかったことも今日は変わるかもしれないと、希望を持てる。
たとえば、体中の汚れを泡で絡め取って、シャワーで流しきったとき。たとえば新しい洋服に袖を通すとき。ヘアアイロンで髪の毛をくるりと巻く瞬間。ネイルを塗り替えるとき。新しい恋人ができたとき……。
そんな愛すべき瞬間たちの中でも、大切にしているのが“髪型を変えること”だ。簡単に変えられるのに、心に大きな変化をもたらしてくれる。
うまくいかない自分も、満たされない思いも、縛られた価値観も、八方塞がりに思えるこの現状も、いつだって変えられる。そう思えば思うほど、わたしは人生に対して寛容になれるし、怖がらずに済むような気がしてくるのだった。
ただ、年末年始や「朝」とは違って、だれかに頼まなければ生まれ変われない美容院でのオーダーはずっと苦手だった。生まれ変わりたいという気持ちだけは強くあっても、タレントやモデルの写真を見せて「こんな感じで」というのは勇気が出ないし、「ウルフカットで」「ラベンダーカラーで」と専門用語や流行りのファッション用語を出すのも小っ恥ずかしく、かと言って「ここはこうしてください。ここはこんなかんじで」と具体的に注文するほど理想は固まっていない。それで、だいたいの場合「なんか、いい感じにしてください」とだけ言って済ませてしまうことも多かったのだ。
けれど「生まれ変わりたい」なら、そう素直にお願いすればいいのだ、と気づいて、今ではこうオーダーする。
「仕事がぜんぶうまく行くような髪型にしてください」
「心が強くいられるような髪型で、お願いします」
彼らは占い師ではないし、魔術師でもないのに、わたしは美容師さんがその力を持っていると信じて疑わないようにオーダーをするし、長年お願いしている美容師の捧さんも当たり前に「オッケー」と請け負ってくれる。「髪型ひとつで、そんなことにはならない」という嘲笑はお互いに全く持ち合わせておらず、髪の力を信じるふたりがそこにいるだけなのである。
「はい。できた。これで、ぜんぶうまく行くから」。
捧さんがそうわたしを送りだして、一歩外へ出た瞬間。
世界はもはや、さっきまでの世界ではなくなっている。
弱気だった心も一瞬で持ち直し、億劫だった約束にも前向きになれる。風はずっと軽やかに変わって、邪魔だと思っていた路上の車は新しいわたしを見せてくれる鏡となる。怪訝な目をしていたすれ違う人たちも、どこか笑みをたたえているようにも見える。
かわいく生まれ変わると、心が変わって、世界はうんと美しく見えるのだ。
男ウケ、女ウケ、自分ウケ。気分がアガるから、恋人に好かれたいから、元恋人を見返したいから、新しいわたしになりたいから。……世の中に溢れる多くの「かわいくなる理由」。
そのどれもをひっくるめて、
たぶん、かわいくなりたい、生まれ変わりたい、と願うことは、
自分が生きる世界を明るく照らしたい、と願うことなんだろうな、と思う。壮大だと言われても、大げさだと言われても、それが真実だとわたしは思う。
はじめて「世界を変えるために、美容院に行きたい」とはっきりと自覚した瞬間を覚えている。
5年前のことだ。当時は、個性豊かな社員があふれるITベンチャー企業で働いていて、緑の髪の人や半分だけ坊主頭の人など、とにかく外見においても働き方においてもチカチカ光るような日々だった。
その中では(見た目において)あまり目立たなかった女性の先輩が、髪型を変えてきたのだ。
肩まで伸びていた先輩のストレートヘアは、強い強いパーマが当てられた短い髪になっていた。頭の上でこんもりと揺れていて、まるでアフロのようで、愛らしいサルのキャラクター“モンチッチ”のようで、今で言えば、漫画『凪のお暇』の主人公のようで。あまりの変貌ぶりに社内は彼女が通り過ぎたその側からざわめきが生まれていた。異様に目立つ先輩の髪。みんなが容赦なく浴びせる好奇の視線に気づきながらも、先輩は照れたり恥ずかしがったり説明することもなく、いつもの様子でテキパキと働いていた。
お昼になって、ひとりでお茶を淹れていると、先輩がやってきた。どうしてその髪にしたんですか? と素直に聞く勇気もなく、「髪、おどろきました」と告げると、「そりゃおどろくよね」とだけ答えがある。
そうして、わたしは当たり障りのない話をしようとして、こう聞いたのだった。
「彼氏には、“髪型を変えるよ”って事前に話してたんですか?」
こんなにも大きな変化だから、じつは彼氏の要望であったとか、または「反対されたんだよね」と返ってくるとか、きっと何かエピソードがあるに違いないと思ったのだ。
帰ってきた言葉を、今でも忘れない。
「どうして言わなくちゃいけないの? わたしの髪なのに」。
言い方に棘はなくて、軽蔑している様子もなくて。ただ「一体、何を言っているんだ」と心底不思議がっている響きだけがあった。
ぐわん。強烈な憧れで、思考が揺さぶられる音がした。
わたしにとってそれは、あたりまえのことなのに、あたりまえじゃなかったから。
「自分の髪、ですもんね」。小さく呟いたころには先輩はもういなくて、言葉を反芻しようとして視線を落とした先を、なんとはなしに指先で辿った。そのとき触った木の机のざらりと尖った手触りを、まだ覚えている。
「自分の意思で、自分の世界を変える。そのことに、誰の許可もいらない」。先輩はそう言っているのではないか、と思えた。
当時のわたしは、恋愛も仕事も見せかけだけは上手く行っていたけれど、内心はずっと不穏だった。恋人にどう好かれるかだけを気にして「わたし」を置き去りにした日もある。「わたし」の気持ちより誰かの言葉を優先した日もある。その日々を自分の意思で変えようと決意して、わたしは長かった髪をばっさりと切ったのだった。
――生まれ変わりたい。
そう願えば、いつだって、なんどだって、自分の意思だけで生まれ変われる。当たり前のことだけど、そのことはものすごくささやかな生きていく希望になると思う。
髪を切る。
世界を変えるために。
すこしでも、自分の生きる世界を、明るく照らすために。
わたしたちはこれからも、かわいくなりつづける。
この記事は、ミルボンさんよりご依頼いただき #私たちが美容院へ行く理由 というテーマで執筆いたしました。特設サイトはこちら。