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御徒町エレジー第25話【忘れられなかった町中華】
おぼろげな記憶。
恐らく一年くらい前の記憶。
ここ御徒町の地に赴任する事になったばかりの頃の事だ。
通勤定期券の区間を一つ先の秋葉原駅までにしていた。
何となく初めての街を歩いて周辺を探索してみたかったのだ。
今と同じく早朝6:30には秋葉原に到着していたのだが、開いてる店はチェーン店だけであった。
仕方なくドトールで時間をつぶし、徒歩で職場のビルのある御徒町へ向かっていた。
そのうち大通りを歩くのにも飽きて、裏路地を探索していた時にその店を見つけた。
だが、肝心の店名が思い出せずにいた。
午前中の業務をしている時に無性に町中華が食べたいリビドー(衝動)に襲われた。
モヤシそばや…
レバニラ炒めや…
春巻や焼餃子…
そんなものが食いたくて仕方がないのだ。
大陸の人達が営んでいる通し営業の店は、時間を気にせず行けてありがたいのだが、それとは違う。
半端な時間に訪れると【準備中】の無慈悲な札がかかっている純日本人経営の店がいい。
後継者がいないせいで惜しまれつつ廃業してしまうような伝統的な町中華の店。
きっとあそこはそんな店なんだ。
思い出せっ、思い出すんだ。
断片的な記憶を呼び起こす。
俺には特殊な記憶能力がある。
過去に見た映像を思い浮かべると、パッとその時に感じた印象やワードが閃めくのだ。
この特殊能力のおかげで人生のピンチを何度も切り抜けた事がある。
過去に十年勤めていたブラック企業のチンピラオーナーに横領の濡れ衣を着せられそうになった時の事。
「テメー!パクっただろ?」
「ファッ?」
経理に使途不明金が出たのだ。
俺の仕業ではない、そんな事をしたら半殺しなのは承知である。
だが、領収書がない。
日付と金額だけが書いてある出金伝票。
この字は間違いなく俺のだ。
沈黙したままだと間違いなく犯人に仕立て上げられる…
何か言えっ!ていうか思い出せ!
日付と三万円台の金額…
これはきっと夜の酒宴の代金に違いない。
そこから逆算し、脳をフル回転させて記憶を呼び起こす。
あっ、思い出した!
横領疑惑のあった日に訪れた店名、当日参加したオーナーの友人達の名前を全て答え、どんな会話をしたかまで克明に言い当て、事なきを得た。
要はオーナーの飲み会の小間使いをされられた時に領収書をもらい忘れていたのだ。
後日オーナーの財布からカードの明細が出て来て金額が一致していた時にこの能力を確信した。
ちなみに、その後も同じ過ちを何度も繰り返し、オーナーの逆鱗に触れ、野良犬のような生活を数年間味わう事になるのだが…
それはまた別のお話。
呼び覚ませ、あの時の記憶を…
その町中華を横目で眺めながら、ゆっくりと通り過ぎたあの時のシーンを思い出してみる。
そうだ、確か…
乃木坂…
46だ。
誰だっけ?
あのショートカットの娘…
思い出せ、思い出せ。。。
そうだ!生駒里奈だ!
ファッ!!
その店の名は「生駒軒」だ。
今回ばかりは正解を職場のPCで確かめる。
フッ。
合っていた、「生駒軒 秋葉原」
検索トップに表示されている。
御徒町タイム13:50。
電話番を終え、カールルイスのような小走りでその場所を目指す。
場所は何となく覚えてる。
見つけた!
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【営業中】
良かった、まだやってる。
中に入ってみる。
客席しかない店内。
厨房が見えない造りだ。
いいぞ、異国の蛮行者たちは一人もいない。
100%リーマン。
しかも、常連感を醸し出したメンツが揃ってる。
死角から店員のオネーさんがヌッと現れる。
俺の予備知識はゼロ。
注文を待つオネーさんと壁に貼られたオススメメニュー。
ホントはゆっくり選びたかった。
「ラーメン半チャーハンで!」
負けた、何かに負けてしまった。
テーブルの上に置かれたメニューを今さらながら見つめる。
モヤシそば…
レバニラ炒め…
春巻も餃子も…
そこには全てがあった。
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ま、まぁいい。
次に来る時に頼めばいい事だ。
まずはその店の基本のラーメン、そしてチャーハンを食べてやろうじゃないか。
ドン、ドン、カッ、カッ。
ドン、カッ、カッ。
Queenの「ウィーウィルロックユー」の様な鉄鍋を振るサウンドが壁の向こうから聞こえる。
俺のチャーハンが紡がれてる。
しばしテーブルの上の調味料を眺める。
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全てが正しく調和が取れている。
伝統芸能に近い町中華。
「お待たせしましたぁ」
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ノーガード。
気をてらわない。
見栄を張らず、でしゃばらない。
何も足さない、引かない。
すなわちコレでいい。
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ラーメンは、かなりの細麺。
湧水のような透明感のあるスープに小ぶりなチャーシューと細いメンマ。
そして、俺の理想のチャーハン。
食う前から見れば分かる。
このチャーハンは絶対美味い。
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家庭で再現出来ないチャーハン。
まさに匠の成せる技である。
絶妙な塩加減、香ばしい風味。
そして、合間にラーメンのスープを飲むと口内で化学反応を起こしたケミストリーが歌い出す。
メニューを眺めながら、このチャーハンとモヤシそばや、肉そばとセットにしたらどんな未来予想図が待ってるのか想像する。
ここは桃源郷。
ランチで、時間のかかる春巻や餃子を単品で頼むのは気が引ける。
だが、夜の部に瓶ビールを飲みながらつまむのはどうだ?
思わずニヤけてしまう。
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一枚だけ浮かんでいた焼豚をかじってみる。
ちゃんと味が染みこんでいる。
きっとチャーシュー麺も美味いはずだ。
あっという間に平らげ、フゥと満足感に満ちた息を洩らす。
「ごっそさん。」
いい店だった。
俺の記憶の大勝利だ。
あっ!
店を出て初めて気がつく。
生駒軒の隣には、あの時暇つぶしに利用していたドトールがあった…
そして、たまに行くラポールから直線距離すぐの所でもあった。
そしてこう思う。
人の記憶なんて当てにならんと。
第二十六話へ続く