チベット便り016 マルパとミラレパ
ナマステ~!ヘッダーの写真は、ゴンパのアシュタマンガラ(神聖な8つの吉祥文様)の一つ「シュリヴァッツァ」です。チベット密教では愛を象徴的に表現した吉祥文様で、万物の究極な繋がりのシンボルです。知恵と慈悲の相互作用、聖と俗の相互依存、知恵と手段の統合を象徴します。
この間行った本屋さんで買ったチベタン・ブディスト・シンボルズ ノーリッジカードの説明では、
カイラス山のミラレパ
空想カイラッシュ・パリクラマ(カイラス山巡礼)をしていた。カイラス山はシヴァの住処で、シヴァリンガとしても崇められヒンドゥはもちろん、ジャイナ、ボン、チベット仏教と数々の宗教の聖地として信仰を集めています。チベット仏教では世界の中心にそびえる聖なる山、メール山と同一視され、周囲の山々を含め天然のマンダラとみなし聖地とします。人類未登頂の神秘の山ですが、伝説では聖者ミラレパが山頂に達したと伝わっており、ミラレパの洞窟とミラレパの足跡が現在でも残っています。河口慧海も1900年にカイラス巡礼をしています。
カイラッシュのことについては、また詳しくお便りするとして、今日はミラレパのことを書きます。ティロパからナロパ、ナロパからマルパ、マルパからミラレパと知恵が伝授されていきますが、名前の最後にパがついてないとだめなのかと思うくらいです。
1038年から1052年の間。チベット南部クンタン地方のキャンガ・ツァにて、チベット名家キュンポ氏族の父ミラ・シェラプ・ギャルツェンと、ニャン地方の王族の末裔の母カルモ・キェンの間に生まれ、トゥーパ・ガ(聞く喜ぶ)と名づけられました。7歳の時に父が病死し、叔父ユンドゥン・ギャルツェンと叔母キュン・ツァ・ぺルデンに莫大な遺産を強奪され、召使いの身分に貶められ、虐待され、悲惨な生活を強いられました。
母カルモ・キェンは、叔父と叔母に激しい憎悪を抱き、ミラレパは復讐のために黒魔術を学び、習得した呪法によって村人35人を呪殺しました。雹嵐を起こす呪法で村の農作物を壊滅し、黒魔術で悪業を積みました。
悔い改め、ラマ高僧ロントン・ラガの元に行くも、前世からのカルマ的な因縁のある別のラマの元へ行くよう告げられ、マルパに弟子入りするよう勧められました。ミラレパは、マルパの名前を聞いただけで心が喜びに満たされ、涙がこぼれ、激しい信仰心が呼び起こされました。
マルパを訪ねて
ミラレパは、ロダクという谷にあるトールン村の寺院に住むマルパを訪ねて入門を乞いました。一方マルパは、師であるナロパの命により、わずかに汚れた水晶の金剛杵(ドルジェ)を甘露で洗い勝利旗(ギャルツェン)に掲げると、まばゆいばかりの光を放ち、その光を浴びた六道の有情が全て済度され至福に満たされた夢を見ていました。
マルパは、ミラレパがナロパとダーキニーによって授けられた特別な弟子であると既に知っていました。
ミラレパの試練
マルパは、ミラレパに「石造りで多層階の塔を独力で建設せよ。」と命じ、途中まで完成させると、「解体して材料を元の場所に戻せ。」と命じました。マルパは、場所と設計を変えて、建設と解体を何度も繰り返させるという理不尽で過酷な労働を課しました。
それだけでなく、マルパは激怒して、公衆の面前でミラレパを罵倒、殴打、蹴り上げるなど過酷な仕打ちを繰り返しました。密教のアビシェーカ(灌頂)を受ける弟子の輪からミラレパだけを追い出すなどして、ミラレパが切望する教えをミラレパだけには与えませんでした。
これらは、前半生で積んだ悪業を浄化するため、マルパの深い知恵と慈悲によってミラレパに与えた試練でした。
ミラレパは、何度も後悔と絶望の淵に投げ込まれ、今生で教えを授かる望みを全て失いました。母のように優しいマルパの妻ダクメマや、マルパに代わって教えを授けようとしてくれた兄弟子が、自分のおかげでマルパの逆鱗に触れ、窮地に陥っていることを知り、遂にミラレパは自殺を図りました。
ここに至って、ミラレパの悪業が完全に浄化されたことを知ったマルパは、ミラレパを弟子として受け入れ、ナロパによって授けられた「ミラ・ドルジェ・ギャルツェン」という法名及び灌頂を与え奥義を伝授し修行に入らせました。
綿を纏ったミラ
マルパの元でマハームドラーを成就し、ナロパの六法など全ての灌頂と奥義を伝授されたミラレパは、人里離れた山中の洞窟で苦行に入り、自生するイラクサのみを食べ、最後は全裸で修行を続け、様々な神通を現すことができるようになりました。昼は意のままに変身し、空中を飛行、数々の奇跡を起こしました。夜は夢の中で宇宙の果てまで探索し無数の化身を現しました。
ミラレパは、トゥンモ(火)のヨーガの成就により体温を制御することができたので、綿衣しか身に着けていませんでした。レパは、綿衣の行者という意味で、ミラレパと呼ばれる由縁です。弟子も綿衣を纏い、レパと名乗りました。
ミラレパは、その後各地を遊行し、ゲシェというラマがミラレパへの嫉妬から毒殺を画策し、毒入りのヨーグルトを自分の妾からミラレパに提供させました。ミラレパは、毒が入っていることを知っていました。妾が懺悔の気持ちでミラレパからヨーグルトを取り返して飲もうとしたことへの大悲と、ゲシェと妾の望みを叶えてやろうという大慈悲から口に運び、深刻な病に陥りました。ゲシェは、ミラレパが真のブッダであると知り、邪悪な行いを激しく懺悔し改心し、ミラレパに帰依しました。
ミラレパは自らの死を通して、最後の教えを与えるためにチュバルの地に赴き、大勢の弟子に囲まれて、木の兎の年(1122年)に84歳でこの世を去りました。