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ヒマラヤ便り11号 潜入!女人禁制!火の祭り
女人禁制!満月の夜の秘祭 ヤグナに女の私くるちゃんがのこのこ行ってみた。
ナマステ!
村の青年ダベジーが、「今夜、ローカルのお祭りがあるから見においで。」 と誘ってくれたので、インド人女子のナヴィに一緒に行こうと言ったら、 「女は行っちゃ行けないお祭りだから私は行かない。」と断られた。 「一応私も女なんだけど、行っても大丈夫なのかな?」と聞くと、 「ダベが来ていいって言ったなら大丈夫なんじゃない?」ってことで、 村のイベント程度に思って、のこのこ一人で行ってきた。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55448426/picture_pc_37e5ed3d4fe4c4ffb2ad112844da6e8a.jpg?width=1200)
妖しい満月の夜。村の男衆が大勢集まっていた。いつもは、遠くから 「ナマステー!」と手を振り合う知った顔もたくさん見つけたが、 今日は皆いつもと違った顔つきで儀式を執り行っていた。 気軽に声を掛けられる雰囲気ではない。一部には空気が読めないヤツと評価される私でも、この空気は読める。ギャラリーも全て男。
太鼓とラッパと鐘が、妖しく儀式を先導する。 鐘の音が何とも感傷的に私の胸に響き、音楽隊に目をやるとベテランであろう太鼓とラッパの中に一人、中学生くらいの少年。鐘の音は、その少年から発せられていた。動画もあるので今度見せるね。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55449902/picture_pc_86c34581b6b2e9249da9430e82e9b9f6.jpg?width=1200)
広場の中心には丸太が組まれ、勇敢な男たちが中に薪(ラクリ)を放り込んでいる。
![画像10](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55454381/picture_pc_e978203d42132f6623e3919dd8046450.jpeg?width=1200)
さて、これは後日調べたことだが、ヒンドゥの火の祭りは、Yajuna(ヤグナ) という 火の捧祭(Fire sacrifice)。三神一体(トリムールティ)の一柱シヴァ神の最初の妃サティの父ダクシャがオーガナイズするという。末娘サティは、ダクシャからシヴァとの結婚を反対され、結婚後もシヴァを認めてくれない父を憂い、悲しみと共に火の中に身を投じ昇天したと伝わる。その後、寡婦が夫の亡骸とともに火に身を投じることをサティと呼び、貞淑な女性を意味し、ヒンドゥ社会の慣行となったが、今は行われていない。サティは、シヴァ神の配偶女神パールヴァティ(烏摩妃)に転生する。
यज्ञ Yajnaヤグナは、ヒンドゥー教では、しばしばマントラを使って、神聖な火の前で行われる儀式を指します。伝統は、奉献と解放を神聖な火へと捧げることから、神聖な火(アグニ)の存在下で象徴的な捧げ物へと進化しました。ヤグナ(サンスクリット語:यज्ञ、ローマ字:yajña)という言葉は、サンスクリット語のヤグナにそのルーツがあり、「崇拝、敬拝、名誉、尊敬」を意味し、紀元前2千年紀に構成された初期のヴェーダ文学に登場します。何に対しても、祈りと賛美、崇拝または献身の行為、捧げ物または奉献の形、そして犠牲。ヴェーダ後の文献では、この用語は、実際のまたは象徴的な供物または努力を伴うあらゆる形態の儀式、祝いの式、または献身を意味しました。神々の崇拝(devapujana)、団結(sangatikarana)、慈善(dána)の3つの意味を持っています。儀式の火、火の神のアグニ、神の使者-がヤグナに配備されたとき、マントラが唱えられます。賛美歌とともに火に捧げられた奉献は、ヴェーダの神々に対するおもてなしの形でした。供物はアグニによって神々に運ばれると信じられていました。その見返りに神々は恩恵と祝祷を与えることが期待されました。そして儀式は神と人間の間の精神的な交換の手段として役立ちました。ヤグナ、犠牲は、私たちが神のために何かを明け渡す行為です。そのような行為は、神聖な権威(āgama)に基づいており、人間の救い(śreyortha)に役立つ必要があります。贈り物の性質はそれほど重要ではありません。ケーキ(puroḍāśa)、パルス(karu)、ミックスミルク(sāṃnāyya)、動物(paśu)、ソーマ植物のジュース(soma)などです。バター、小麦粉、牛乳の小さな供物は捧げ物の目的に役立つかもしれません。ヤグナという用語の意味は、司祭による火の周りで行われる「儀式の犠牲」から、あらゆる「個人的な態度と行動または知識」に発展しました。
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![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55454029/picture_pc_5083008a19120b3c63918e7b5f1b97e1.jpg?width=1200)
火柱は、天へと昇っていき、満月に届く。
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![画像11](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55454277/picture_pc_fa0473737f0bd05c5d51770bed04dc67.jpg?width=1200)
![画像7](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55454709/picture_pc_84e6da1a51635586330c103947624afc.jpg?width=1200)
स्वाहाSvahaスワーハー 元は、供物を祭火に投じる時に発する掛け声で、のちに神々に願いが届くことを祈る聖句。ヒンドゥー教と仏教では、サンスクリット語 svāhā(デーバナーガリー:स्वाहा)は、ヤグナの火の犠牲と崇拝の間に呼び出されるマントラの終わりに使用される聖句、結句です。スヴァーハーは神々に詠唱を捧げるべく唱えられています。サンスクリット語の「良い」と「呼ぶ」という語源に由来します。チベット語では、「svaha」は「so be it」と翻訳され、しばしば「soha」と発音され、正統的に表されます。スヴァーハーは、女神として、またアグニの配偶者として擬人化されています。スヴァーハーは、アグニが燃やすことができないシャクティまたは力を表しています。スヴァーハーはアグニに夢中になっていると述べ、アグニと一緒に住みたいと思っています。他の神々は、したがって、賛美歌の間にスヴァーハーを呼び出している間、奉献がアグニに提供されると述べています。したがって、スヴァーハーは永久にアグニと一緒に住むでしょう。いくつかのバージョンでは、彼女はスカンダ(韋駄天)の多くの神聖な母親の一人です。アグニの娘であるアグネヤの母でもあります。彼女はダクシャとプラスティの娘であると考えられています。(サティの姉妹)彼女は全焼のいけにえを主宰すると考えられています。リグヴェーダのスヴァーハーは、アグニまたはインドラ(帝釈天)への奉献を意味する場合もあります。
![画像9](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55460069/picture_pc_19f8fd8ce81cddeb419110d313e9c206.jpg?width=1200)
Svaha
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