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チベット便り018 Lama is in a trouble

タシデレ―。なんか、ヒズ・ホリネス ダライ・ラマがトラブルに見舞われてるらしく、チベタン・ユーチューバーがザワついている。ヘッダーの小坊主君も額に汗が滲んでいるように見える。

なんだかんだで、西側の真骨頂メディア界隈に利用されているんだなぁと思いつつ、こちとら「慈悲」のボディ・サットヴァ(菩薩)であるアヴァロキテ―シュヴァラ(観世音菩薩)の化身なので、It's not a big deal.でしょう。

餓鬼は、「反応」をすると調子こくので、反論すらもせず、ガン無視していれば、新たなどうでも良いニュースが湧き出てくるので、数日で忘れ去られる。

「有識者」や「高学歴」の方々が、今頃になって、「真実」的なコトを、自分だけが気づいてる、目覚めてるかのごとく、警鐘を鳴らしたり、センスの無い時代錯誤の浪花節をかましている。サミットのコマーシャル見た?マジあの自己陶酔女形大臣のイメージヴィデオは、一刻も早く「広告をスキップ」で対処し、ダメージを最小限に抑えよう。ここからは、完全な「ひぼうちゅうしょう」だが、あのお大臣様、イケない性癖を持ってる。見ればわかる。まぁ、どんな性癖があろうと、大臣としての仕事を真摯にこなしてくれればいいんだけど、あいつにゃ無理だろうな。

Six Armed Maha Kala

Six Armed Maha Kala

六本の腕を持つマハーカーラ(大黒天)は、シヴァ神の別形態であり、主にチベット密教のシャンパ・カギュ派で伝統的に意識の守護者として崇められている。

カギュ派は、ティロパからナロパ、ナロパからマルパを通じた系譜のダクポ・カギュ派(マルパ・カギュとも呼ばれる)と、ニグマの系統のシャンパ・カギュ派があります。

ダクポ・カギュ派の開祖は、マルパとその弟子のミラレパ。ミラレパ以来の伝統として、在家の信者は白い綿衣を身に纏い「レパ」と呼ばれます。
守護尊チャクラサンヴァラ(歓喜仏)を依経とするカギュ派は、14世紀中期に興りました。マハームドラーを最奥義とする教義が特徴です。ナロパの6法を実践します。

ナロパは、弟子のマルパに、「南の毒湖のほとり、ソサドヴィパの納骨堂に、骨の装飾品で飾ったダキニがいます。彼女に出会った者は、誰でも解放されます。彼女の前に行き、カトゥピタを要求しなさい。あなたの望むあらゆる教えが、そこにあります。」と言いました。
ソサドヴィパの納骨堂に到着したマルパは、草で編んだドームに住むヨギに会いました。マルパは、黄金のマンダラを差し出し懇願しました。生徒は、教えや伝達が与えられるまでに3回要求するのが伝統的です。
ニグマは、喜んでアビシェーカを与え、カトゥピタに関する口頭指示を与えました。マルパは、実際に少なくとも2回は、ニグマから教えを受けています。


※マルパとミラレパについては、チベット便り016 でCheck it out!

マハームドラーについては、チベット便り015でCheck It Out!

リンポチェ 化身ラマ、転生ラマ

リンポチェとは、本来、如意宝珠(仏教において霊験を表すとされる宝の珠のこと)の意味で、傑出した仏道修行者に与えられる尊称。
トゥルク(活仏)は、化身ラマ、転生ラマと訳され、この世の衆生を教え導くために如来、菩薩、過去の偉大な仏道修行者の化身として、この世に姿を現したラマのことで、サンスクリット語で化身を意味するアヴァターラに相当する。

ゲルク派のダライ・ラマが化身ラマとして最も有名ですが、化身ラマによる転生継承制度を初めて法主の選任に採用したのはカギュ派です。ゲルク派は、16世紀中期に転生者を選任するようになりました。

もともと、師資相承が基本であったが、特定の氏族が、権力を持つ高僧を輩出したり、公然と世襲を行うようになり、旧勢力への対抗措置、血縁主義の弊害の排除、僧侶の妻帯を禁ずる戒律復興の動きに合致したことが相まって、各宗派に取り入れられました。

カルー・リンポチェ

カギュ派の転生ラマといえば、二代目カルー・リンポチェですが、初代カルー・リンポチェは、20世紀にシャンパ・カギュ派を再活性化させました。1965年にインドのダージリン地区のソナダに設立した僧院で、多くの西洋人の弟子を惹きつけました。1970年代には、米国や欧州に出向いて教え、3回の訪問で12ヶ国以上に教育センターを設立。フランスでは、伝統的な3年間のリトリートを西洋の学生に教える初のリトリートセンターを設立。1989年5月10日にソナダの僧院で亡くなりました。

1990年9月、ダージリンで、初代カル―・リンポチェの秘書を務めていたラマ僧ギャルツェンと妻ドロルカ―の間に生まれた男児が、カル・リンポチェのトゥルクであると認定され、1993年2月に二代目カル・リンポチェとして即位しました。

2005年、15歳でボカル僧院で、シャンパ・カギュ派の3年間のリトリートに入り、2008年9月に修了しました。同時に、初代カル―・リンポチェの創設したソナダ僧院の所有者となりました。

2011年、21歳になったカル―・リンポチェは、カナダ、ブリティッシュコロンビア大学で講演を行い、聴衆の中の学生から性的虐待についての質問を受け、12歳の時に通っていた修道院の年上修道士たちから性的虐待を受けたことを明かしました。

カル―・リンポチェは、ゴシップニュースとなることを恐れて真意を説明する動画を公開しています。

最初の僧院に入った時は、何もかもが贅沢な生活だと感じていて、幸せを楽しむのが好きで、不幸になったことは一度もありませんでした。9歳まで王子様のように生きてきました。9歳の時に父が亡くなり、その後非常に困難な生活を送りました。人々は、私がずっと快適でラグジュアリーな生活を送っていると思っていましたが、父の亡き後、別の修道僧院に移され、そして12歳の時に年上の修道僧から虐待を受けました。ですので、モンク(修道僧)のことは今も信じていません。
18歳の時にドラッグとアルコールの依存症になりました。その後、自分自身を守る方法、弱さから遠ざかる方法を学び、学校を建てることを決意しました。
私は普通の人間です。私はただの人間です。人が私を好む、好まざるに関わらず、私が誰であるかは変わりません。だから、自分の責任においてできる限りのことをするつもりです。仏教が社会に美しいイメージをもたらすよう、構造を変える必要があります。ビジネスや政治に巻き込まれることは望みません。
私は私の人生に満足しています。私は、今、ここにいることが幸せです。

カル―・リンポチェの動画 くるちゃん訳

2023年現在は、ダージリンを拠点に、ヨーロッパを中心に各地でワークショップを精力的に行っており、現代に生きる者としてSNSを活用して活躍しています。2013年カトマンドゥで結婚。子供がいるようです。

シャンパ カギュ派の創設者 ニグマ

「秘密の血統」と呼ばれるシャンパ カギュ派は、ナロパの6法に似た「ニグマの6ヨーガ」を最も深い教えとして実践します。10世紀または11世紀、ニグマは、経典、タントラ、口頭指導を開発しました。ニグマは、サンスクリット語の「本当に秘密」という意味のニグプタに由来すると伝えられています。キョンポ・ナルジョルに最初の7世代の間、教えを、一人の生徒だけに口頭継承するように指示したことが、秘密の血統と呼ばれる所以です。

ニグマは、スカシッディと共に、シャンパ・カギュ派の創設者であり、精神的指導者、教師、ダキニです。ニグマの生涯の歴史的詳細については、あまり確認できませんが、カシミール地方ペメのブラフマー階級の家庭に生まれ、出生名はシュリジュナナ。ナロパの配偶者という説もありますが、ナロパの姉である可能性が高いようです。

ある著者は、ニグマの神秘性について、このように語ります。

ニグマの捉えどころの無さは、まさに限界的な霊的体験の具現化であるダキニの伝承の典型である。結局のところ、不可解な助言を授ける、輝く、恐ろしいダーク・ダキニの幻影に直面した時、身元調査など無意味になってしまうのである。ダキニの情報は、ダキニに遭遇した英雄達の経験の中にあり、これらの経験には、精神的な意味の価値が組み込まれている。

くるちゃん訳

ダーキニー チベット密教では、ある程度の精神的発達を伴う人間の女性をさし、メッセンジャー、ガイド、守護者として行者を悟りに導く存在。アヌッタラヨガ・タントラの密教修行において行者のパートナーの役割を担う。
ヒンドゥにおいては、ラークシャサ(羅刹)の女達のことで、個人ではなく集団や種族全体をダーキニーという。男の場合はダーカ。古代インドの鬼女神(ヤクシニー・夜叉女)が元で、シヴァ神の一形態マハーカーラの配偶者であり、時間・殺戮・破壊を司る女神カーリーに仕える。

ダキニ、ダーキニー

瞑想の達人 スカシッディ

スカシッディは、瞑想の達人であり、知恵のダキニです。
西カシミールの貧しい大家族に生まれ、3男3女の母です。
彼女は、家にある唯一の食べ物を物乞いに与え、家から追い出されたことがあります。ダーカとダキニの土地と考えられているオディヤーナに旅し、マハーシッダ、ヴィルーパに出会い、生徒になりました。その後、ニグマと共にキョンポ・ナルジョルの教師になりました。









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