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社会人7年目で海外大学院留学を目指す理由①
この記事は、2021年にWordpressで書いたブログからのお引越し記事です
社会人になってあっという間に7年。早いもので、二十代前半のぴちぴち女子もすっかりアラサーの落ち着きを手に入れてしまいました。笑
社会人経験もそこそこ積んでようやく仕事も人並み程度にはできるようになった今、転職市場も様々ありますが、その中でなぜアメリカの大学院への海外大学院進学を志したのかについて書きたいと思います!
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わたしの半生を振り返りながら書いたのでちょっと長くなってしまいました。。。笑
大学院で学びたい内容
そもそもわたしが大学院で学びたい内容はなんなのか、というところから。
成人教育、すなわちAdult Learningを学びたいと考えています。成人教育って日本では聞き慣れない言葉ですが、Lifelong LearningやContinuous Educationとも近い分野で、大人になっても学び続ける「生涯学習」についてのあれこれを学ぶものです。
「生涯学習」というとユーキャンなどの資格試験のための学習を思い浮かべがちですが(笑)そういうものはではありません!
日本では、多くの人が大学を卒業して新卒で企業に入社して学校教育が終わったと同時に、何かを学ぶことからは卒業して社会の場で実践で経験を積んで道を進んでいく!という考え方が一般的です。
しかしAdult Learningでは、成人になってからも仕事や人間関係、コミュニティでの関わりや自己内省の先に、大人になっても目的を持って学び変化をし続けることについて学びます。
この考えは欧米や北欧では広く認知されており、大人になってから学び直す機会を得ることが多い一方で、日本ではまだまだ浸透していません。2015年のNewsweek日本版では「日本の成人の生涯学習率は先進国最下位」と出ています。
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わたしは個人的に、人生という大きな旅の中で、自分自身についてより深く知り、自分を生かすために変わり続けることが、この変化の大きい社会の中で人間がより人間らしく(自分らしく)生きられる重要な要素であると考えています。自身の経験としても、大人になってからの学び(日常を通じての学び)の方が色濃く人生に影響を与えていると深く感じているし、大人になってからますます自分自身のことを深く知って変化を選択してこれた人生だったなぁと思うからです。
そのため、Adult Learningでの学びを通じて人間が生涯を通じて学び変化し続けることについて知見を深めたいと考えています。
自分自信を深く知ることの大切さを痛感した、これまでのこと
自分が選んだはずの人生なのに、自分の人生を生きられていない感覚
わたしが人生の壁にぶち当たったのは、社会人1年目〜3年目。
それまでは本当に順風満帆の人生で、大学入試ではいわゆる一般的に偏差値の高いとされている大学に入学し、就職活動も面接解禁になった直後には安定した超ホワイトな有名大企業から内定をいただいて入社しました。将来について何も不安なく、両親や友人からも「安定して良い会社だね」「良かったね」と言われる環境でした。
そんな明るい未来が待っていると思って意欲的に入社をしたのと裏腹に、仕事が始まってすぐに感じたのは「自分が選んだはずの人生なのに、自分の人生を生きられていない」という感覚。
先輩も上司も同期もみんな良い人たちばかりで、超ホワイト企業で有給も特別休暇もたくさんある。お給料だって、新卒だからそこまで高くはないけど十分にある。なに一つ文句はないはずなのに。文句なんて言っちゃいけないほどに恵まれている環境のはずなのに。
なにかが違う。
そんな思いがずっとついて回っていました。なにかが違う、でもなにが違うのかわからない。人生の手綱を握れていない感覚が続き、悩み苦しみました。
一冊の本との出会い
月曜日がくるのが嫌で、毎週末は配属された静岡から東京に帰ってきて、大学時代の友人や仲良しの会社の同期と憂さを晴らすように遊びまくりました。
「週末の楽しみのために平日は嫌でも我慢して仕事をする」ことが普通だと思っていたし、今まで出会った大人たちもみんなそうやって我慢して生きているように見えたから、どんどん遊んで、お酒を浴びるように飲む日々を過ごすことに慣れ切っていました。
でもやっぱり本当は苦しくて、来る日もくる日も朝ベッドから起きるのが辛くて憂鬱な気持ちでした。
誰に相談するのが良いのかわからない、どうしたら良いのかわからない。でも、やっぱりこのままじゃ嫌だ。人生を変えたい。
そんな時に、ある友人から紹介された本がわたしの人生を大きく変えるきっかけになりました。
はじめは「結婚式業界に興味もないし、なんでこれをわたしに紹介してくれたんだろう?」と不思議に思っていたのに、読み始めたら止まりませんでした。心が震えて、涙が溢れました。「あぁ、わたしが今求めているのは、これだ」そう直感しました。
その本には、著者の山川咲さんの半生とCRAZY WEDDING創設までのストーリーが詳らかに描かれていました。彼女自身の生い立ちや葛藤と苦しみ、何かを生み出したいと自分の人生に挑戦し続ける姿が眩しくて、美しくて。
「社会的な正解」という見えないモノサシを頼りに無意識に人生を選択していたこれまで
咲さんの半生で語られる「普通」であることへの憧れ。でも「普通」ではどうしてもいられなくて、自分は自分なんだと受け入れた先に訪れた安堵と、自分にしかできないことをしたいと願い挑戦するその潔さと強さ。
そんな咲さんの姿に感銘を受けたと同時に、自分自身の人生を深く振り返るきっかけにもなりました。
そこで初めて気づいたのは、今まで自分が信じていた世間的に「良い」とされていることと、自分自身にとっての正解は全く違うものなのだということ。それにも関わらず、「社会的な正解」という見えないモノサシを頼りに、自分の人生を無意識のうちに選択してしまっていたということ。
だって、それしか知らなかったから。それしか正解がないと思っていたから。
幼少期から褒められることが良いことだと疑わなかった
今思えば、小さい頃から「見えないモノサシ」に従順な子供だったように思います。
私は小学生の頃から、なんでもできる優等生でした。4月生まれで発育も良くて身長も高く、同学年の子ども達と比べると文字通り「頭ひとつ飛び抜けた」子供。
小学校のマラソン大会は小学校入学から卒業まで一位だったし、市の総合体育大会では短距離一位、書道をしても書星会賞(金賞よりも上の賞)、通知表ももちろんオール◎で、卒業式には卒業生代表で答辞を読みました。
自分で言うのもなんだけど、本当に「なんでもできる子」の代表みたいな小学生でした。
「さえちゃんは良いね〜、なんでもできて」「本当にすごいねぇ」
そんな風にばかり言ってもらっていたし、幼いながらもその言葉は嬉しくて、もっともっと頑張ろうと日々息巻いていました。でも本当は、何事も一番にならなくちゃいけないことがプレッシャーだったんだと思います。当時は、「プレッシャー」なんて言葉の意味をちゃんと理解していなかったからよくわかっていなかったけれど、きっとそうだったんだと思います。
ただ褒められるのが嬉しくて、「正解」と言ってもらいたかった。
そうやって、20年以上も「見えないモノサシ」通りの選択をしてきた人生だったのだと、ようやくその時に気づくことができました。
自分が本当に心からやりたいことではなく、無意識のうちに「正解」と言われるような選択をしてきていたこと。自分が本当にやりたいこと、心が震えることがなんなのかを知らずにただ流されるように生きてきたダサい自分に直面しました。自分のことを知ろうという努力をこれまでいかに怠ってきたのかと絶望すら覚えました。
「意志をもった人生を増やす」ことが咲さんのビジョンであるならば、当時のわたしはその正反対にいました。「見えないモノサシ」通りの人生を選択してきた先に、自分の人生の手綱を握れず、苦悩する日々。
だからこそ、「ここから変わってやろう。わたしも意志を持った人生を送る側の人間になる」と強く思い、気づけば行動をとっていました。友人の友人づたいでCRAZYの社員と繋がりをつくってもらい、週末や平日にも東京でイベントがあれば仕事終わりに静岡から東京に来て、なりたい自分になるための準備を進めていきました。
続きます。