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言葉にできたことだけが、感情なんだよ
このタイトルは、私の好きなドラマ第1位の「大豆田とわ子と3人の元夫」で、元夫のひとりに片想いを寄せる女性が放った台詞。
大豆田とわ子は、物語のリズム感や優しいけれど核心をつく台詞、登場人物のアクがあるけれど愛らしいキャラクターなど、一つの作品としての魅力が多くて大好き。元気が出ないときはNetflixでBGMのようにかけている。たぶん、もう7回は全ストーリーを見た(もしくは聞いた)のではないかなと思うほど。
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我が家にはテレビはなく、基本的に息子と共にノースクリーン生活を送っているので、大豆田とわ子がリアルタイムで放送されていたときはもちろん知らなかったのだけど、ある日誰かにおすすめされて見たら大ハマり。坂元裕二の脚本は間違いない。
自分のことって、他人の方がよく知っているなぁと思ったりする。
そんな推しドラマの中で、この「言葉にできたことだけが、感情なんだよ」という言葉がずーっと私の頭の中にあって、それを紐解いてみようとある日ノートに向かってみた。
言葉にできたことだけが、感情なのか?
まずは、率直に、「言葉にできたことだけが、感情なの?本当に?」と探ってみる。
客観的には、というか、他者から見たら、確かに「言葉にできたことだけが、感情」なのかもしれない。でも、言葉にするのが難しい感情もあるし、感情に対して言葉のラベルを貼りたくないこともある。もう少し咀嚼する必要があることも。
自分の感情をなんとなくキャッチできているけれど、それがどの感情なのかはわからない。適切に言葉にできなかったり、したくなかったりする。
これは、Emotional Intelligenceといって、感情の知的指数とも関連している。感情や体感を、言葉として表現するのが上手な人もいれば、それが難しい人も。
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