谷川俊太郎が亡くなった。 享年によると寿がれた命だ。 ある時期、詩人たちを代弁者に仕立てて、いっぱしの何者かになりすまそうとした若い頃があった。 あの頃は、才人たちの紡ぐ砂金粒の言葉の数々を纏い、選ばれた民だと錯覚できたのだ。 さらさらと砂時計は落ちてゆく。 群衆を生きて久しいある時、ふいに記憶が甦った。 『生きる』 これから羽ばたこうとしている希望の子らに伝えていきたいと思った。 滔々と読み上げ、たくさんのかれらの巣立ちに贈った。 そしてまた、いっぱしをてらう薄っぺ
「調理定年」なる言葉があることを知った。 産む性として古来から飯炊き係を任ぜられて来た女性側が、反旗を翻したような造語だ…大袈裟な解釈だな自分。 この言葉を元に取ったアンケートによると、 “作るの止めた〜い” と強く心が動くのが50歳代で、 “マジ無理” と体が拒否するのが60歳代なのだそうだ。 長寿大国日本にあって、その後の20〜30年は、「定年」という免罪符の下、後ろめたさを振り払い、充実している冷食や出来合いお惣菜、レトルト、テイクアウト、そして外食を活用すべきとの内容
自分の顔をじっくり見なくなって久しい。 外出時のマスク必須以来、眉を描くのみと化粧もぞんざいだ。 ぴちぴちギャルの頃は、まぁ、あったと仮定して、毎日何度鏡を覗いたことか。 眺めたところで本質の見目は変わらないのだけれど、雑誌モデルを真似て色やら塗り方やらを変えては友人たちと情報交換を楽しんでいた。 綺麗は無敵、可愛いは正義。 ネットが無い世界の女子も今とあまり変わらない。 そうして学校を出たばかりの野暮ったい子が次第に垢抜けていく。 あれこれ駆使してやっと手に入れた自分
朝、カーテンを開けたら雪景色。 やっとキレイに紅葉したのに気分はすっかり冬到来で、まだ先にあるはずの年末がぐっと迫って来た。 急がなきゃ… ずーっと先送りしているエアと宿をそろそろ予約せねばと焦ってしまう。 イナカビトの推し活に付き物の泊まりでの遠征を年明け早々に予定している。今回は道連れを探し中。先ごろの青森は初見の興奮もあり一人で噛み締めて過ごせたけれど、次回はあれこれきゃーきゃー騒げる相手が欲しい。 この度の推しは、多様なアイドル推し仲間の認知外で、ピカピカのヒカリ
姉は11月生まれだった。 過去形なのは、今年8月亡くなったからだ。 姉は長いこと精神を病んでいて、入退院を繰り返し、コロナ禍を挟んだここ数年は様々な事柄をはっきりと認識できない症状になっていた。 3歳上の姉とは、ごく普通の姉妹の関係で、特に仲が良いわけでは無いが、辛辣な言葉を遠慮も無く掛け合える相手ではあった。 面会しても、いよいよ会話が成り立たなくなった頃に見た夢がある。姉のマンガ本を黙って持って行ったと口喧嘩をしているたわいもないシーン。夢の中なのに、『これは夢なんだ
10月20日青森に行って、初めてライブで男子新体操の演技を見た。 素晴らしいだろうと予想はしていたけれど、実際凄かった。 体一つで高く飛び跳ね舞い上がるアスリートの皆さんは、作りが同じ人間とはとても信じられない程で、本当に美しかった。 目の当たりにしたことがあるスポーツ選手たちは皆誰もその競技に最適な体型をしていて、相当な日々を重ねて戦う体を作り上げたのだろうと感心するばかりなのだが、男子新体操の彼らのしなやかなスタイルには、ため息が出てしまった。 新体操に男子部門みたい
ある時ふと目についたものの残像が見えた瞬間、流れて来た音の耳障りが違和感だった瞬間、脳内に幸せホルモンが湧き出すのがわかる。 『推し』という言葉の出現に感謝しながら、しばしキラキラと輝き始めた甘やかな感情に浸る。 そして一緒にやって来る諦めのため息。。 今回の沼はどの位深いのだろう、平穏な毎日がどの位掻き乱されるのだろうかと。 長くオタクをやっていると、ハマってから抜ける、否、落ち着くまでの起承転結が手に取るように分かっている。 心のつづらに仕舞った沢山のモノたちをたまに