もっと速く泳ぐために
こんにちは!チアドリ代表の渡邊です。
今回は「どうやったら速くなれるのか」をひたすらに追求し、数々の全国大会に出場、活躍された神奈川県出身の福田洸貴さんにお話をうかがってきました。
1.競技人生について
福田さんは3歳からお兄さんの影響で水泳を始め、なんと4歳の時には選手として1コメ(100m個人メドレー)を泳いでいたそう。小学3年生の頃から、JO(ジュニアオリンピックカップ)を意識し始め、小学4年生の時についに基準を切り、初の全国大会へ。
小学生ながら常に練習中も大会の時にも頭の中には、JOの標準記録が入っており、JO出場が決まった時にはすぐにわかったと言います。
初の全国の大会は、「わけもわからず出場し、気がついたら終わっていましたね」と福田さん。
初の全国大会がすぐに終わってしまったと感じた福田さんは、「JOに行きたい!」という目標が「もっといろんな種目でJOに出たい!」という目標に自然と変わったと言います。
2.新しい環境、新しい種目、そして新しい方法への挑戦
中学生になり、タイムがのびなやんだ福田さん。練習環境を変えるためにライバルたちが多く所属していたクラブに移籍する決断をします。
そして今まで挑戦したことがなかった、200mにもチャレンジすることに。
「今までやらなかっただけで、意外と自分にあっていることがわかりました。
挑戦することで今までと違う道が拓けた感じでした。」
と福田さん。
また移籍先のチームでは、試合前にある取り組みがあったそう。
それはレース前に、「コーチの前に行き、出場するレースの目標ラップタイムと実際に出したいタイムを言うこと」。
「この取り組みを忘れずにすることで、泳ぐ前のイメージにもなりましたし、目標タイムへの道がはっきりわかるようになりました」
3.納得するまで練習の密度(みつど)をあげることで、それが結果につながる
高校では、クラブではなく部活動で水泳に取り組んだ福田さん。
「考えて練習すること」「納得のいく練習をすること」を徹底的(てっていてき)にたたき込まれたそう。練習が終わった後、一緒に練習している先輩と「どのように泳げばもっと速く泳げると思うか?」について話をしたり、レース動画を一緒に見ながら、お互いに分析し合うこと、納得がいかない泳ぎになってしまった時にはそのままにせずダウンで泳ぎを整えることを繰り返し、着実にタイムをあげていきました。
そして高校2年生の時出場したインターハイ。
会場に入った時、「あ、これは絶対にベストが出るな」そう確信したそう。
「根拠はないんですけど、絶対ベストが出ると思ったんですよね!」と福田さん。
高校時代の先生に言われた、「納得するまで練習の密度をあげることで、それが結果につながる」を信じて、毎日練習を重ねることで、インターハイの舞台で大きくベストを更新することができたそうです。
4.自分がどこまでいけるか、限界に挑戦したい
▲リレーの決勝での一枚(一番左が福田さん)
大学では「日本選手権決勝」を目指して競泳に励んだ福田さん。しかしその道のりは楽なものではありませんでした。
大学1年-2年の間ベストを更新することができず、苦しい時期を迎えます。しかし「無理だ...」と考えを止めてしまうのではなく、「どうやったらできるかな?」と考え、同じ練習をこなす先輩にしつこいくらいにアドバイスをもらいに行ったり、どのようなレース展開で泳ぐのかをコンマ何秒まで決め、練習でやってみたり。
多くの工夫をへて、徐々にタイムを伸ばし大学3年のときインターカレッジへの出場権をつかみとります。
なんとリレーでは、A決勝まで出場することができたそうです。
そして大学4年生に上がる春に大学での最終目標「日本選手権」へ出場。
「皆の歓声が皆自分のところに向いている感じ。あの時は、本当に興奮してすごく幸せな気持ちになりました。」と福田さん。
5.小学生の時の自分に伝えたいこと
「自分もそうだったんですが、コーチから言われた練習をただこなすのはもったいない!
まずは、出したいタイムをコンマ何秒まで決め、それを常に頭の中において練習することが大切だと思います。そして、そのタイムを出すために、コーチの考えてくれた練習を自分なりに考えてやってみるとタイムが上がりやすいと思います。」
と笑顔で伝えてくださいました。
うまくいかないことがあったとき人のせいにするのではなく「どうすればもっと速く泳げるようになるだろう?」そう常に考え競泳をやり遂げた福田さん。いつでも自分で決断し、その決断をやり遂げることで水泳を心から楽しみ素晴らしい成績を残されました。
うまくいかないときこそ、「どうすればできるかな?」と考え方を変えてみると次につながるヒントが見つかるのではないでしょうか?