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おんなじ仮面。(続・作家の肺活量)

以前「作家の肺活量」という記事を書いた。
作家との相性や文書校正の目安にもなるという話だ。
が、文章の呼吸を見ることは、その他の利点があることもわかったのだ。

すてきなアカウント

ありがたいことに、自分の雑多な記事にも、読んでくださってスキをポチっとしてくださる方々がいる。
なかにはフォローしてくださる方もいらっしゃる。これからの記事にも期待してくださっていると受け取って、執筆のはげみにしているところだ。
だが、自分は脊髄反射でフォローバックしないので、ある程度不義理な人間だなとも思う。
一応相手のアカウントについてどんなスタンスで運営している人なのかはしばらく眺めてから対応を決めているのである。

先日、とあるアカウントの方がフォローしてくださった。どんな方なのだろうと覗きにいき、記事のリストも内容も眺めてみた。
「なんかセンスのかたまりできっちりしてるなぁ」
という印象だった。ただ、失礼な話だが
「よくこれだけの文章量を使って"何も言ってない"のも珍しいな」
とも思ったのである。

デジャヴ、あるいは赤青3D

数日後、またフォロワーが増えた。うれしいな、と思う前にかるい違和感を覚えた。
ひとつ前のフォロワーと行動が同じなのだ。
名前も違う、記事のテーマも違う、パッと見は全く別のアカウントなのだが、アカウント作成から記事の投稿の間隔、テーマから全くぶれない同じテンションの文章、記事の種類と順番、他アカウントフォローの手順、すべて全く一緒なのである。
その他にも、ここでは書けない違和感が満載だったので、ぞっとしてしまった。
たぶんものすごい数の同族アカウントが存在しているはずだ。

おんなじおんなじ仮面

なんか椎名誠さんのエッセイのひとつを思い出してしまった。
(多分内容はそんな話ではなかったと思うが、「ひるめしのもんだい」という本に入っているはずなので、よかったらどうぞ)

あるパターンに則ったアカウント群を使って、気づかないアカウントをフォロワーとして増やし、そのインプレッションを武器に別のことに使っているのだろう、そうだろう。
よく「マニュアルにそって行動するだけで稼げる!」みたいなバイトってこういうものなのかなーとも思うし、巻き込まれなくてよかったーと、俄か陰謀論者になっているところである。
そうなると、スキの数も一喜一憂するものじゃないんだなと、少し冷めた気分になってしまった。ありがたいことなんだけどね。

時計と時刻

「時間が知りたい」と思う時、時計が一つならその時間を信じることができるが、同時に2個以上の時計がある場所では時間がわからなくなる…と言われている。
自分も最初のアカウントの段階では、ちょっとおしゃれな意識高い系アカウントなのかな?くらいにしか思っていなかった。
しかし、あまりにも酷似した動きをした別物を見た瞬間、その信用はガラガラと崩れ落ちたのだ。
これは複製人形だと。

是非に及ばず

だがしかし、別にnoteの使い方など人それぞれな訳で、同じ手順で作った同族アカウントが同じ動きでフォロワーを増やし、記事のスキを意識的に増やしてアカウントの価値を高め、別の目的のために利用したところで、そういう運営方針なんだと言ってしまえばそれまで。
でもでも、気持ち悪いので巻き込まれないように気を付けていきたいと思っている。
同じような対応しかしない、こぎれいだがのっぺりとした姿の人が、貼りついた笑顔で近づいてきたら気持ち悪いだろう???

てか、わしはきもちわるい。

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