「いいひと」

私とオットは職場結婚して四半世紀。

オットは半年前に早期退職し,病気療養の後に亡くなった。

辞めて半年しか経っていないからまだ人々の中で記憶に新しい。しかも管理職をしていたからお世話になった方は多い。

忌引きを明けた初日は,半日かけて供花や電報をくださった方への挨拶回りをした。ヒラ社員の私が普段はお会いしないエライ方から順に各部署をまわる。そこで多くの人からオットの思い出話を聞いた。皆さんが語るオットは,きめ細かで愛情豊かで誰にでも公平で愛敬ある人物だった。

それぞれの人が語る思い出話の中で彼の良さを再確認したり,意外な面を知ることになった。皆さんがそうした想いを持っていてくださることが本当にうれしくありがたい。


けれど,「いいひと」のエピソードを聞くと,別の感情がちくちくと刺すことがある。

家では決して「いいひと」だけの人ではなかった。弱いところ,だめなところもたくさんあった。

だから「いいひと」エピソードを聞くたびに,いつもの調子で

「いいえ,家ではそんな人ではなくて・・・」

と言いかける。

そして,欠点だらけの彼は,家にもいない,手に触れられるところにいないことを思い出し,胸の中の空洞に気づいてしまう。


確かに彼は,職場では「いいひと」だった。

それは,私も付き合う前に抱いていたイメージ。それが違うことを10年くらいかけて知った。その彼は、他の誰も知らない、私だけの彼だ。


ただの「いいひと」なんかにされてたまるか。

みんなの中の「いいひと」の白い小箱に収められるもんか。

彼は,自分がトイレの扉をぴったりと閉めないくせに,子どもが戸棚の扉を閉めないといちいちと怒った。

理不尽なことで怒ったり,わけのわからない理屈をこねたり,わがままを言う男だった。


そして,匂いも体温もある人だった。

だった,のに。


日が経つにつれ,私も彼に対して以前の記事で書いたような”思い出し怒り”をすることが少なくなった。

こうして思い出の中の「いいひと」になってしまうのだろうか。

もっと私を奮い立たせる人のままでいてほしい。


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冴子
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