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ブスという呪い
最近、ものすごく心動かされ、周りの女子たちに「是非読んで欲しい」と布教しまくっている漫画がある。
河野大樹『ブス界へようこそ』というネット漫画だ。
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とても絵柄にクセがあり、読み手を選ぶ漫画なんだけど、ふと気づくと最新話まで一気に読んでしまっていた。
内容はとてもシンプル。
ブスを苦にして自殺した名前のないヒロインが、現世と冥界の狭間にある「ブス界」という場所に落とされる。
そこには彼女と同じように世を儚み自ら命を断った元ブスたちが大勢いて、美人になって生まれ変わるべく、互いにシノギを削っている。
ヒロインはそこで新しい自分にふさわしい「カエコ」という名前を与えられ、いろんな苦難を乗り越えつつ、仲間を集めながら次第にそのステージを上げていく...という話だ。
これがめちゃくちゃ面白い。
少しでも「ブス」という言葉に対して心揺れる人生を送ってきた人なら、涙無くして読めないはずなので、ご興味のある方は是非一度読んでみて欲しい。
(今はKindleでただで読めます)
で、あらためて考えた。
「ブス」っていったいなんだろうと。
私は物心ついた頃から実の母親に「お前は器量が悪いから手に職をつけておきなさい」と言われ続けて育ったので、多少は見た目をほめられるようになった今でも、どこか「ブスの尻尾」のようなものを引きずっているところがある。
今日も一緒にお昼を食べていた元ミスコン優勝者が、私は物心ついた頃から両親に『おまえのような可愛い子はいない』と言われて育ちました、というのを聞いて驚いた。
そんな、生まれてすぐ目の前に「2001年」のモノリスがドンと立っているような、恵まれた人生のスタートを切る人がこの世界に存在するのか。
彼女は私の驚きを見るなり慌てて、「だから大人になってから現実を知って苦しみました」と付け足したけど、少なくとも容姿で苦しんでいないのはその後の人生を見れば明らかだ。
同じ容姿をしていたら、より自信を持てるのは間違いなく「可愛い」と親に言われて育ったほうなのである。
「ブス」とはつくづく罪深い言葉だ。
英語における「get」とか「take」なみに汎用性のあるこの言葉は、下手をすると容姿のみならず、言われた人間の全てを否定するくらいの凄まじい破壊力を持つ。
それは「ブス」という言葉に対する世間の反応を見れば明らかだ。
でも、「ブス」ってなんだろう。
私はこれ、絶対的なものではなく、「呪い」だと思っている。
これは私自身が霊長類ヒト科のメスを長いことやってきて、かつ数多くのヒト科のメスを観察してきたうえでの結論である。
「ブス」という生物は存在しない。
心ない人に「ブス」という呪いをかけられている女性がいるだけだ。
で、この『ブス界へようこそ』という漫画、ここに出てくるレベル3以上の美麗な女の多くは、キレイになった今でもどこかで「ブスの尻尾」を引きずっている。
努力して見た目がキレイになっても、心が未だに「ブス」という呪いから解放されていないのだ。
現実世界にもその手の女性はほんとうにたくさんいる。
その多くはかつてブスと呼ばれ、後天的な努力で美しい容姿をかちとりながらも、心のケアが追いついていないせいでどこかがねじれたままの人だ。
しかも彼女らの多くは自分がかつてブスと呼ばれていたことが黒歴史になっているため、そこから距離を置こうと今ブスと呼ばれる女に対してことさらに辛く当たる。
同性に対してやたらと「このブス!」と言ってしまいがちなのは、大抵生まれつきの美人ではなく、おうおうにして元ブスと呼ばれていた女性であることが多い。
私はこれを、ミヒャエル・エンデの小説からとって「バスチアン現象」と呼んでいる。
ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』の主人公・バスチアンは、ファンタージェンという本の中にある不思議な世界に迷い込み、そこで夢のような美少年という理想の外見を手に入れる。
しかし、そこでなにかを得れば得るほど、代わりに昔の気弱なバスチアンだった頃の大事な記憶をなくしていく。
そして最終的には驕り高ぶった者たちが流れ着く、「元帝王たちの都」なる魔境の一歩手前まで行ってしまうのだ。
『ブス界』のカエコが素晴らしいのは、自分は絶対にこの「元帝王たちの都」の住人にはならないと決めていることである。
キレイになって認められるなんて当たり前のことじゃないか、だけどそんなのは意味がない、わたしはまずこのままの自分で戦って勝利する、そしてそのうえで自分の願う通りのキレイでカッコ良い女になって、最終的にはかつてのわたしのような女たちを救う存在になるのだ、とカエコは自分がレベル1の時点から宣言するのだ。
もうね、泣きました、私。
まだ連載の途中なのでこれからどういう展開になるのかわからないけど、こい願わくばカエコにはこのまま自己肯定ロードを迷わず突き進んでいって欲しい。
そして最後にこの漫画、テーマが女の美醜をうたうものでありながら、男がひとりも登場しないところがまた素晴らしい。
なぜなら女がキレイになりたいのは決して男のためじゃなく、ましてや同性と張り合うためのものですらないからだ。
キレイになりたいのは自分のため、自分を好きになるためだ。
いってみれば武道をきわめるのと一緒で、言うなれば「美道」である。この道に終わりはない。そしてこれが最終的には自分との闘いであり、決して他者を倒したり、ましてや貶めたりするためのものでないところも一緒だ。
ところで女の「ブス」に相当する男性への言葉ってなんだろう。
これが、いくら考えてもわからない。
「これですよ」と言える方、あとでこっそり教えてください。
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