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となりの地縛霊
独身の頃、当時住んでいた九品仏のアパートの隣の部屋に岡田さんという地縛霊がいました。
どうして名前を知っているかというと、彼が18歳から55歳で亡くなるまでずっとひとりで住んでいたというその部屋が、表札がかかったままの空き部屋になっていたからです。
そのアパートは木造築50年以上の2階建ての物件で、駅近で家賃が安かったので、私はあまり深く考えずその部屋に住み始めました。
岡田さんが隣人である私の部屋に出始めたのは半年後のことでした。いやもしかしたら私が鈍かっただけで、実際はもっと前から出ていたのかも知れません。
とにかく住み始めてからしばらくすると、夜な夜な家鳴りがひどくなりました。そしてある晩、天井の木目のあいだに『新耳袋』のオープニング映像みたく手形がベタベタとついているのに私は気づいたのです。
ですが、入居当初は絶対なかったその男の手形を見ても、私はなんか京都のお寺でこんなの見たな、ああそうだ血天井だわ、くらいのライトな感想しか持てませんでした。
腹がすわっているのではありません。当時はとにかく仕事も恋愛も毎日が修羅の連続で、とてもそんな霊現象などに構っているヒマがなかったのです。
ところが岡田さんは構ってくれない私に腹を立てたのでしょう。次第にその存在を少しずつアピールするようになりました。
朝起きるとゆうべ締めたはずの水道からジャージャー水が出ている。指差し確認をしたはずなのに、うちに帰ると部屋のあかりが煌々とついている。貧乏なのに贅沢して買った紅茶、マリアージュフレールのマルコポーロが床にぶちまけられている。
地縛霊と猫が似ていると確信したのはこの時で、岡田さんもまた人の嫌がることを探し出し実行する天才でした。
貧乏人の私によりによってインフラで責めやがるか。よーしそれなら、と私は水道の蛇口をゴムで縛り、電球を外し、紅茶は戸棚の中にしまいました。ザマアミロ、これなら電気代水道代で私をいじめることはできないだろう、というわけです。
ところが次に岡田さんがとった戦略は「私の睡眠時間を奪う」でした。
真夜中2時にいきなりラジカセからCDの音楽が流れ出す。とつぜん電源を入れてないドライヤーの風の音がする。きわめつけはある晩、顔の見えない白い影が寝ている私の前に立ち、フーフーと荒い息を近づけて首を絞めてきたことでした。
しかし、その首の締め方に本気でないものを感じた私は、地縛霊ながら女性慣れしていない岡田さんの孤独に切ない気持ちになったのでした。
それにしても、貧乏というのは部屋に地縛霊が出ても引っ越すこともできないのです。自分が使ったわけでもない電気代の金額を見てさすがに腹が立った私は、そんな暮らしを変えるべく、世の中に出ていくための前向きな努力を始めました。Wスクールへ行く、小説を書く、いろんなところに応募してみる、夜の外出を増やす、etc。
とても皮肉な話ですが、岡田さんの嫌がらせが私の原動力となったのです。
その努力が通じたのでしょう、私はやがてその部屋から引っ越すことになりました。
岡田さんはその間もさまざまな抗議行動を続けていました。しまいには押入れの天井の戸袋を毎晩あけたり、目の前で茶碗を飛ばすなどのポルターガイスト現象まで起こすところまで成長しました。地縛霊にも成長というものがあるのだと知ったのはこの経験からです。
しかし、彼はそのアパートにあまりにも長く住みすぎたのでしょう。地縛霊の身ゆえ、私の引越し先までついてくることはできず、岡田さんと私のご縁はそれっきりになりました。
そしてそれから17年後、つい3日前のことです。
私は久しぶりに九品仏を訪れ、かつて私が住んでいたアパートの前を通りかかりました。
驚いたことに、その物件は未だに立て壊しもされず、そのまま人が住んでいました。私が住んでいた2階の部屋には女物の洗濯物が干してあり、そして隣の岡田さんの部屋は雨戸が締め切ったままでした。
岡田さんはまだあの部屋にいるのだ、と私はそのときピンときました。岡田さんの部屋は角部屋で、古い木造ながら陽当たりがよく、とても住みやすかったからです。
もしかして岡田さんは未だに隣の部屋の女性にちょっかいを出しているのでしょうか。その可能性は大いにありましたが、しかし私もいい歳になり、ふとあることに気づきました。
もしかして、岡田さんはあの頃、私に構って欲しかったというよりも、どこへも行けないあの部屋から連れ出して欲しかったんじゃないかと。
私は岡田さんの部屋に向かって手を合わせ、ついてきていいよ、と言いました。向かう先は駅前の九品仏浄真寺。昔、グアムに行って兵隊さんを連れ帰ってきてしまった時に、明治神宮に行って神さまにどうにかしてもらった時と同じです。
(そういう時は靖國神社だよ、とあとで言われたのですが、まあ日本までは連れ帰ったのだからそのあとはご自身でどうにかしてください)
とにかく私は、九つの仏像さまに岡田さんをどうかよろしくとお願いし、お賽銭も少し多めに奮発して帰りました。
そして、ああ、これは本当のことなのでここに記しておきますが、その晩、会ったこともない岡田さんが初めて夢に出てきたんです。
先天性相貌失認症の私にどうして岡田さんとわかったかというと、ご本人が夢の中でこうおっしゃったからです。
「私の名前は岡本です」
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