38歳で営業マンからライターに転身しましたーー自己紹介/スポーツライター 佐伯 要
スポーツライターの佐伯 要(さえき・かなめ)です。
フリーランスの世界には、「自分を知ってもらうには、自分がやってきたことを示せ」という言葉があります。それに倣って、まずは書籍の仕事実績をご紹介します。以下の記事をご覧ください。
1.活動実績
2009年にスポーツライターとして活動を始めました。
「取材の量と原稿の質は比例する」をモットーに、野球のノンフィクションや書籍(指導論や技術書など)の取材・執筆・構成をしています。
現在の主な仕事は書籍ですが、『週刊ベースボール』『大学野球』『ベースボール・クリニック』などの雑誌や、『web Sportiva』『REAL SPORTS』『東洋経済オンライン』などのWEB媒体でも記事を書いています。
以下に、リンクが張れる記事に絞って、いくつかご紹介します。
<週刊ベースボール>
<web Sportiva>
<REAL SPORTS>
<東洋経済オンライン>
2.略歴
ここからは、略歴をご紹介します。
1971年3月30日生まれ。和歌山県新宮市出身。
小学生になる直前に兵庫県佐用郡佐用町に引っ越しました。
小学4年からソフトボールと野球を始め、小5から捕手。兵庫県佐用町立佐用中では軟式野球部で捕手、三塁手としてプレー。中3夏の大会終了後は龍野ボーイズ(当時)に所属して、二塁手としてプレーしました。
兵庫県立佐用高では1年夏からベンチ入り。
2年秋から正捕手となり、「二番・捕手」として出場した3年夏は
兵庫大会2回戦で敗退しました。
捕手としては打者の裏をかくリードが持ち味(つまり肩には自信がない)で、打者としてはバットを短く持ち、センターから右方向へのヒットを狙う打撃が特徴(つまり長打力はない)でした。
その後、早稲田大学スポーツ科学科へ進学。ゼミではバイオメカニクスを中心に学びました。卒論は「バッティングスキル上達のためのイメージトレーニング」です。
大学4年間は軟式野球サークル「アスコットパワーズ」に所属して、草野球を楽しみました。午前中はまじめに授業に出て、午後は草野球をやって、居酒屋で飲み、麻雀をするーーという毎日でした。
大学卒業後は、スポーツメーカーの㈱ゴールドウインに就職しました。
入社当時は、学校の体操服を扱う部署で営業を担当。その後はテニス/スイムブランドの「エレッセ」、レディスフィットネスブランドの「ダンスキン」、スイムブランドの「スピード」などの営業を担当。商品企画のプロジェクトにも参画しました。
会社では上司や先輩、同僚に恵まれたものの、「好きなことを仕事にしたい」という思いが強くなり、16年目となった2009年春に同社を退職。フリーライターとして活動を始めました。
当初は実績もコネクションもなく、仕事はまったくありませんでした。
いろんな出版社にアプローチしたが、門前払いの日々……。それでも、とにかく現場へ行き、取材を重ねました。
そして、2009年秋。
取材現場で「週刊ベースボール」の編集者さんと出会いました。
そのときカバンのなかに持っていた、誰にも頼まれてもいないのに書いていた原稿がきっかけとなり、「週刊ベースボール」でデビュー。
そこからはいっしょに仕事をした編集者さんやカメラマンさん、
現場で出会う同業のライターさんからの紹介で仕事をいただけるようになりました。
おかげさまで、無事に2024年にライター歴16年目を迎えることができました。いつも取材させてくださる指導者や選手のみなさん、原稿を依頼してくださる編集者の方々、そして読者のみなさんに感謝しながら、日々、活動を積み重ねています。
ライターとしての仕事のほか、2013年から2021年までは、「スポーツライター塾」を主宰して、大学でスポーツ新聞部・サークルに所属する学生さんや、スポーツライター志望の社会人の受講生を対象に、取材から執筆などを伝えました(サムネイルの写真は、その一コマです)。
また、2014年から2年間は、日本工学院八王子専門学校で非常勤講師を務め、文章によるコミュニケーションを指導しました。