名将の46年間の監督人生を記録した一冊 書籍の仕事まとめ#14 髙橋昭雄さん著『TOYOの熱血』
46年、542勝の歴史
1つのチームを46年もの間、監督として率いる。その間に、東都一部リーグで542勝を挙げる。
それがどんなことなのか、想像できますか?
本書のタイトルに「熱血」という言葉が使われていますが、熱い血が流れていないと、成し遂げられない。
それほどの〝偉業〟だと思います。
本書は、1972年に23歳で監督を引き受けたところから始まります。23歳というと、髙橋監督が4年生だったときの2年生が、最上級生になったときです。
「オレを兄貴分だと思ってくれ」
髙橋監督は〝後輩たち〟にそう言ったそうです。
ところが、当時の選手たちから「兄貴分と言ったのに、次の日から鬼みたいだった」と言われたーーというエピソードがあります。
そんな青年監督ですから、就任時にはOBと名乗る人から「お前が監督になるのは許さない」と反対の声があったそうです。
髙橋監督の監督人生は、「よし、やってやろう」という反骨心からのスタートでした。
このときの気持ちを忘れないように、「生涯青春」を座右の銘にして、貫いたのです。
「育てた」のではなく「育った」
髙橋監督の教え子は、46年間で1075人。そのなかにプロへ進んだ選手が44名います。
本書には、プロへ進んだ選手や、のちに監督として日本一に輝いた教え子のエピソードが満載です。
プロへ進んだ選手では、松沼兄弟、達川光男さん、桧山進次郎さん、今岡誠さん、大場翔太さん、大野奨太さん、藤岡貴裕さん、鈴木大地さん……。
監督として日本一になった杉本泰彦さん、福田治男さん、森士さん、谷口英規さん。
髙橋監督は、1075人の教え子のうちの一部しかこの本で紹介できなかったことを、とても残念がっておられました。
そんな教え子たちについて、髙橋監督は「育てたのではなく、育った」と仰いました。
「オレは野球がうまいと傲慢になることなく、一生懸命やったから、成長していった」(髙橋監督)
髙橋監督は、チームの中心選手、特にエースや四番に厳しかった。
叱るのは、結果以上に、態度について。
たとえば、凡退した四番が下を向いてベンチに還ってきた、「チッ」と舌打ちをして不貞腐れた……。
そうすると、「おい!」「何やってるんだ!」と叱っておられました。
いや、叱るというより、「怒鳴る」が正しいかも。
それくらい、態度に厳しかった。
しかし、その裏には「お前だけが悔しいんじゃない。みんな悔しいんだから、次へ向かっていけ!」というやさしさがありました。
監督の声が聞こえる
私は2010年から東都大学リーグを取材していたので、髙橋監督のお話は何度聞いたか、数え切れません。
エースが抑えて、打線が打って勝つ。そんな王道の野球が髙橋監督の野球でした。
神宮球場での試合後は、勝ったときはもちろん、負けても自軍にホームランが出たときは、ご機嫌がよかった。
「勝っておごるな、負けて腐るな」とよく仰っていたと思います。
東洋大のグラウンドでの取材は、きまってネット裏にある監督室で。
練習中にお話を聞くことが多かったのですが、会話の途中でもグラウンドで何か気になるプレーがあると、すかさずマイクのスイッチを入れて、「おい、○○!」と指摘する。
取材を受けながら、どうやってグラウンドの隅々まで見ているんだろう? と、すごく不思議に思いました。
一番記憶に残っているのは、「サイン盗み」に関して。
ある選手が、「監督、あの大学はセカンドランナーがキャッチャーのサインを盗んでバッターに教えています。うちもやればいいんじゃないですか?」と言ったそうです。
髙橋監督は、こう答えました。
「サインを教えてもらって打ったって、君の評価にはならないよ。それでうれしいのか? 正々堂々と勝負して、実力で打つから立派なんじゃないのか?」
髙橋監督は、2022年9月に亡くなりました。
しかし、髙橋監督の監督人生は、この本とともに、みんなの記憶に永遠に残ると思います。
この本を読み返すと、髙橋監督の声が聞こえてくる。そんな感じがしています。