甲子園春夏連覇がもたらしたもの 書籍の仕事まとめ#20 佐伯要著『連覇の先の物語』
春夏連覇した興南ナインの人間力
2010年、沖縄・興南高校は甲子園で史上6校目となる春夏連覇を達成しました。
そのなかで、「二番・センター」だった慶田城開選手、「一番・セカンド」だった国吉大陸選手、三塁ベースコーチだった国吉大将選手を取材。春夏連覇の〝その後〟を綴りました。
慶田城選手も国吉兄弟も、「ホントに大学生かな?」と思うほど、しっかりした受け答えができる好青年でした。
3人をはじめとして、このチームには人間力の高い選手が揃っていました。
島袋投手は中大で、我如古盛次選手は立大で、安慶名舜選手は法大で主将。
また、慶田城開選手は中大で、伊禮伸也選手は関東学院大で、銘苅圭介選手は名桜大で副将と、興南を卒業後にそれぞれのチームでリーダーシップを発揮していました。
僕には、興南の人間力で思い当たるエピソードがあります。
それは、2010年夏の決勝で1対13で敗れた東海大相模の主将だった福山亮選手から聞いたものです。
日米野球でアメリカに行ったときのこと。
朝の散歩をしていたら、興南の選手は道の反対側のゴミを見つけて、駆けだしていった。
福山選手は、それを見て「ゴミを見つけたら拾うけど、道の反対側のゴミまでは見つけられない。ああ、これが12点差だったんだな」と感じたそうです。
このことを慶田城選手に訊くと、「我喜屋先生から、野球だけではなく、いろいろなことを教わりました」と、答えてくれました。
その1つが朝の散歩。15分ほど歩きながら、ゴミが落ちていたら拾うのはもちろん、花の匂いをかいだり、交通量の違いを感じたりするそうです。
「いろいろなことに気づくようになると、人への気遣いができるようになります」と、慶田城選手。
だから、興南の選手は進学した先でリーダーを任される人間になっていくんですね。
島袋洋奨投手の4年間
島袋投手は、中大に進学。
1年時は順調でしたが、2年春に左ヒジを痛めてしまい、そこからは制球難に苦しみました。
僕は1年春から彼が神宮のマウンドで投げた球をほぼ全球、観ています。
4年春は5連続四死球を与えて降板するなど、まったくコントロールが定まらない状態でした。
正直、観ていられない、観るのがつらくなるような気持ちを抑えながら、スコアブックをつけ、試合後の取材で話を聞きました。
そんな島袋投手をずっとそばで支えてきたのが、慶田城選手です。
慶田城選手は島袋選手といっしょに中大へ。
入寮の日には雪が降っていて、2人で「これが雪か!」と見たそうです。
1年春はリーグ戦に出場していましたが、その後に右ヒザを痛めて戦列を離れてしまいました。
一時は「野球から離れよう。沖縄に帰ろう」とまで悩んだそうです。
でも、「島袋を置いて、一人で逃げて帰れない」と踏みとどまりました。
慶田城選手は、2年冬に学生コーチに転身します。
「チームを優勝させる」
「島袋をプロへ行かせる」
この2つが新たな目標になりました。
そして、最上級生になって副将に就任します。
4年時には、島袋投手は「もう投げたくない」と思うほどでしたが、慶田城選手は献身的に支えました。
試合中はベンチ前まで出て、「洋奨、1つずつ」「洋奨、あわてるな」と、大きな声で島袋投手を勇気づける。
その姿が、僕の目に焼き付いています。
支え続けた男の涙
2014年10月23日のプロ野球ドラフト会議当日。
僕は中大の多摩キャンパスのホールで、取材しました。
プロ志望届を出していたのは、島袋投手と、福田将儀選手。
先に福田選手が東北楽天から3位指名を受けました。
福田選手の会見が終わって、少し経ったとき。
島袋投手は福岡ソフトバンクから5位で指名されました。
その瞬間、歓喜に沸く中大ナインのなかで、一人だけ両手で顔を覆って泣いている選手がいました。
慶田城君でした。
僕は、そのときの島袋投手の表情以上に、慶田城君の様子が忘れられません。
この短編では、そんな慶田城君の中大での4年間のほか、大学では野球をやらなかった国吉大陸選手(明大)、国吉大将選手(早大)の4年間も描きました。
国吉大陸君の言葉が印象に残っています。
「みんな、心が折れそうなときも、そこでやめたり、不貞腐れたりしなかったのは、『興南の春夏連覇のメンバーだ』というプライドがあったからだと思います」
甲子園で春夏連覇したーー。その重圧はもちろんあったでしょう。しかし、我喜屋監督の教えのうえにプライドを持ち、支え合いながら、切磋琢磨した。
彼らの〝それから〟に触れられたのは、取材者として幸せでした。
本書では、ほかにも著名なライターさんたちが執筆されています。
第1章 歴史をつなぐ男―育英高校・安田聖寛監督名門百年目の再建者
第2章 永遠の座標軸―「尾藤監督の息子」箕島高校・尾藤強監督の“凛烈の意気”
第3章 北陸の春―センバツ優勝・敦賀気比、フルスイングの向こうにあった夢
第4章 火の国からの発信―秀岳館・鍛冶舎巧監督の企む高校野球革命
第6章 つながれたバトン―昭和第一学園・田中善則監督、多田倫明助監督“陰”と“陽”の融合を目指して
様々な高校野球の「繋ぐべきもの」が紹介されています。ぜひ、高校野球の素晴らしさを再発見してください!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?