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ムニエルくん #1

ムニエルくんは、生活に「余裕」が生じたのか、それともあまりにも暇なのか、苦悩という名の五里霧中にいる。

ランニング・コストがゼロとはいえ、時給1000円の身としては、一時間の苦悩の生み出す損失を考えると、またぞろコメカミがじくじくしてくる。

そのムニエルくんの苦悩の道程はこうだ。

とりあえず、生きる意味について七ヶ月ほど考えてみた。以前の生活ならば、他者との関わりもあり、そのなかで使命感のようなものも感じることができた。しかし、今は山中の独活のごとく、もそもそと動いているやら、いないやら。生きる意味などどこにあろう。

次にムニエルくんは、生きる意味を「生きがい」と読み替えて神谷美恵子の『生きがいについて』をじっくり読んでみた。なるほど、いろいろな人がいるものだ、と感心はしたが、膝をはたと打つほどの感銘は受けない。

それから、なぜそう思い立ったのか、うろ覚えの木村敏の『分裂病の現象学』を勝手気ままに引用した。「個の底に他者がある」を敷衍して、じっと自分の「底」にダイブしてみた。以前試した下手くそな小説もどきで明るみに出た「くだらなさ」の他に、何があるというのか。ほとんど焼け焦げのヤケクソである。

そんな紆余曲折の挙句、ある日、遂に一つの命題にたどり着いた。曰く「生きる意味は、それ自体は存在しない。各々の意味づけがあるにすぎない」。しからば、「生きる」とはどういうことか、なぜ人は「生きる」のか。

答えは単純明快だった。過去完了の時制的意味で「単純明快だった」。死ねないから。そう、この一点のみは、これまで犯してきた自殺未遂の数々が証明するところの、「ムニエルくんの不可能性」の内実だった。だから、ムニエルくん的に言い直すならば、実情は「死ねないから生きなければならない」となるだろう。

畢竟、ムニエルくんの「生きる意味」をめぐる苦悩など、「死ねないから生きなければならない」という消去法的な実存が逃避した循環論法にすぎなかったのだ。

そうなのだ。ムニエルくんは、死ねないから生きていて、だがしかし、ただ生きている恩恵に「安住」出来ずに、その有るか分からない意味を求めて、終わりなき旅に出ていたのだ。

今や、いや、今さらながらムニエルくんは断固として主張する。「生きるとは、生物個体に備わった生存プログラムの動作に他ならない」と。それは時に、「死にたい」と同様「意志」のベクトルを伴うと。

身体は生きようとしている。たとえムニエルくんが虚無の虚無その虚無に囚われようとも、苦悩の木を見て森を見なくとも、井の中の蛙の見上げた先が曇り空だろうと、身体は肉体は生きようとしている。

ムニエルくんは、ならばと、まずは虫のように生きてみようと考えた。「生きる」のミニマムな実現としての「虫の生活」、そう、誰かが言った「林の中の象」みたく諦念と観想に満たされた生き方など次元が違いすぎる。身近な昆虫こそ師と頂くに相応しい。

だが、ムニエルくんの盲点はすぐに明るみに出る。虫の生はとにかく、とてつもなく大変である。

まず、全てが自力本願だ。餌、もとい食べ物一つ、身一つで何とかしなければならない。そうなのだ、身体は資本ではない、唯一無二のツールであり動産であるのだ。病気になれば、怪我をすれば、命など露と消えてしまう。草葉の影で笑うのは他の虫、いや他の虫とて生きるのに必死なのだ。誠にシビアで厳しいのが、人生ならぬ虫生である。

しかし、である。虫は寄生されたりしない限り、完全に自由だ。いや、寄生も物の考え方だ。人間も影に日向にさまざまな「洗脳」を受けているではないか。今日側にいたパートナーは、明日には新興宗教の伝道師になって行方不明になるかもしれぬ。

宗教などを引き出さなくとも、広告に誘われて欲しくもない商品を購入し、誰彼が所有しているからと、他者の欲求を自分のそれとすり替える。挙げ句の果てには、「生きる意味」が何のかんのと、哲学者じみた苦悩に、時給プライスレスな時間を無為に過ごす。虫生とは無縁の「寄生」だ。

そもそも人間を考えてみよ、そこに存在するだけで金がかかる。土地はすでに誰かのものである。生える草一つ、うごめく生き物一つ、その土地に属する、と考えられる。それこそ雑草や虫を採取するぐらいなら許されようが、庭や畑に入れば不法侵入だ。

ゆえに住むにも金が必要になり、食にも金が要る。生まれたままの姿でいれば猥褻物陳列罪に問われる。無論、衣にも金がいる。なんだ衣食住とは金のかかる三大元素か。ムニエルくんは、シビアな虫生とカネまみれの人生を比較して叫びたくなる。

ここまでくると、もはやムニエルくんの脳裏からは、「生きる」苦悩など雲散無臭している。金金金、この呪われたマストアイテムの存在を次の仮想敵として一戦交える、それだけが至上の使命だ。これを取り払わなければ、いや、排除すれば人生も自由になる。その時になってようやく、本来の「生きる」の意味が見出せよう。

ムニエルくん、誰もわざわざ言わないだろうから教えてあげるけれど、そんな玉砕覚悟の戦いなんて無駄だからやめときたまえ。そして、日々、身を粉にする覚悟で、コツコツ真面目に働きたまえ。それがきっと「生きる」ことだから。

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