47号云云

ポスト留置所一般人が、何かにつけてあれやこれやと長めのコメントをします。 迷妄した想像を漏らしますが、ご寛恕くだされば幸いです。

47号云云

ポスト留置所一般人が、何かにつけてあれやこれやと長めのコメントをします。 迷妄した想像を漏らしますが、ご寛恕くだされば幸いです。

最近の記事

私的人生ストレッチ

ぼくは今年47歳を迎える。これから脂がのる(魚ではないけれど)年齢なのか、折り返し(マラソンではないけれど)の年齢なのか、ぼくは知らない。ただ、振り返ってみて、ぼくなりの「出会い」で学んだ、大切にしたいことが実感できる年齢にはなったと思う。 その、ぼくなりの「処世術」、いや、「処世術」ではないか。これまで生きながら、ようやく見つけた方向の取り方。だから、羅針盤であり、かつトラベル・ログみたいなものかもしれない。それらについて、少しつらつらと書いてみたい。 別の自分を想起す

    • カフカの『Der Prozeß』を読む その02

      Sofort klopfte es und ein Mann, den er in dieser Wohnung noch niemals gesehen hatte, trat ein. Er war schlank und doch fest gebaut, er trug ein anliegendes schwarzes Kleid, das, ähnlich den Reiseanzügen, mit verschiedenen Falten, Taschen, S

      • カフカの『Der Prozeß』を読む その01

        とても個人的なことになるのだけれど、留置所にいるとき、どうしても読み直したくなって、3冊の文庫を家族に差し入れしてもらった。逮捕されること自体が、家族にこの上ない迷惑をかけたのに、厚顔無恥も甚だしい、と当時も今も思っている。でも、それでもその機会を利用して、読みたくて読みたくてしょうがなかった。 その3冊とは、カミュの『異邦人』、ドストエフスキーの『罪と罰』、そしてカフカの『訴訟(審判)』である。いずれも、犯罪や「収監」を扱った小説であることは、いまさら言うまでもないだろう

        • 文字について思うこと #1 痕跡をもとめて

          大学での英語の授業のときのことだ。毎回毎回ほんとうに飽きもせずに、300単語(300Words)の英作文を課してくるネイティヴの講師がいた。授業では、それをただ、指名した何人かの学生に口頭で読ませ、文法をチェックする。目に付いた(耳についた)トピックやポイントがあると、落書きのような文字で板書して解説する。 単純な文法ミスがあったりすると、悲痛な声で「Ok、モウヤメテ」と、一文目だろうが、終りの方だろうが、着席させられる。いろいろ経験を積んでから考えてみると、ずいぶんとデタ

          ムニエルくん #1

          ムニエルくんは、生活に「余裕」が生じたのか、それともあまりにも暇なのか、苦悩という名の五里霧中にいる。 ランニング・コストがゼロとはいえ、時給1000円の身としては、一時間の苦悩の生み出す損失を考えると、またぞろコメカミがじくじくしてくる。 そのムニエルくんの苦悩の道程はこうだ。 とりあえず、生きる意味について七ヶ月ほど考えてみた。以前の生活ならば、他者との関わりもあり、そのなかで使命感のようなものも感じることができた。しかし、今は山中の独活のごとく、もそもそと動いてい

          ムニエルくん #1

          来たるべき断絶 『2001年宇宙の旅』に見る人類史の未来 #1 進化とは何だったのか

          モノリスこの映画のなかで最も議論を呼んだのが(呼んでいるのが)「モノリス」と呼ばれる長方形の石だろう。キューブリック監督と脚本を手がけたクラークは、完全なる地球外生命体からのメッセージ装置と考えたようだが、「神」の存在を示唆する論者もいる。 たしかに、旧約聖書の「石板」を連想させなくもないが、こちらはヘブライ語で「契約の板」を意味し、図像学上でもしばしば石の板で表される。英語のmonolithとは異なる。参考までにMirriam-Websterで調べると、その定義は下記のよ

          来たるべき断絶 『2001年宇宙の旅』に見る人類史の未来 #1 進化とは何だったのか

          ストリップと因果物と

          罵詈雑言という四字熟語はご存知だろう。「罵」の成立は置いておくとして、意味は「網を被せるように」ひどい言葉を浴びせること、らしい。とすれば、この四字熟語は「滔々たる悪意ある言葉の豪雨」のイメージで良いだろうか。 ぼくは幸い罵詈雑言を浴びせられた経験がないけれど、ぼくに人格否定的な罵声を浴びせる人はいた。メンタルの強い方ではないので、一瞬暗闇に落ち込んで地にめり込むくらい衝撃を受けた。思い出すのも嫌な記憶だ。 実際に用いるのも用いられるのも嫌悪を催す罵詈雑言だが、かといって

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          未詳事件 #03 はか

          先日、きゅうりを自前の味噌ダレに絡めてかじっていた時のことだ。ふと、この野菜の表記について興味を覚えた。瑞々しさとパキパキとした食感の新鮮さに反し、その過去には古漬けのような滋味が秘されていると思ったからだ。 きゅうりとは、ご存知のごとく「胡瓜」と書く(「黄瓜」とも表記するが、いまは「胡瓜」で話を続けたい)。「瓜(うり)」の前に付された「胡」に気づいていても、調べる人はそう多くはない、のではないか、と思ったりする。 この「胡」は、元来中華文化から見た異民族全般を指し、後に

          未詳事件 #03 はか

          未詳事件 #02 じてんしゃ

          先日、トイレ読書用の本として読んでいた『改定版 英文法総覧』(安井稔著、開拓社、1996年)で次のような解説を見つけ、思わず唸った。 換言すれば、これらの場合、従節の現在時制は、主節の未来形に、いわば、「おんぶ」していることになる。(273ページ) 主旨は、例えば次のような未来を表す文章「If it is not rainy, I will go.(もし雨模様でなければ行こう)」において、if節が「現在形」であるのは、「未来形」の主節「I will go」が時制を担保して

          未詳事件 #02 じてんしゃ

          未詳事件 #01 めくじら

          先日、「江ノ電沿線新聞」(2020年7月1日発行)をはじめて拝読した。小規模ながら、そしてその地を知らないながら、「鎌倉」文化の香りをほのかに感じる新聞だと思った。 さて、収められたコンテンツのなかに、ぼくの興味をくすぐるコラムがあった。タイトルは「文字の關」。北九州門司の海峡を「關」とした古名に由来する、らしい。 由来はともかく、ぼくがその時に読んだ「渦・潮」は、それまでのコラムと同じであろう「文字」を取り上げて、衒学的、ときに自由闊達に空想を広げる類の文章だった。

          未詳事件 #01 めくじら