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教師の体罰について考えてみた

東京都立町田総合高校で起きた50代教師による暴行事件。

ネットサーフィンをやっているときに、その件に触れた武井壮さんのTwitterが話題になっていると知って一通り読んでみた。


読んでいただければわかるかと思うが、武井さんは「体罰」はあってはならないし容認されるべきではないというスタンスを貫いている。

賛否両論あるようだが、個人的には武井さんの意見に肯定派だ。「無抵抗だとわかって挑発する行為」を容認してはならないし、「体罰」をそういう事情なら仕方ないと許されるべきものにしてはならないというのが私の見解である。

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明らかに生徒に非があったとしても、殴ってしまったことに対して「仕方ないよね」は力を力でねじ伏せることを増長させる危険な思考だと思うからだ。今ある日本の平和は「力を力でねじ伏せる」を放棄したからこそ成り立つもので、力を力でねじ伏せるのなれの果てが「戦争」である。

正義という名の大義名分さえあれば、歪んだ忠誠心や思想であってもそれを疑わずして残忍になれる側面を持ち合わせているのが人間だ。歴史がそれを物語っている。だからこそ「やっぱり体罰はいけないこと」と、いけないことはいけないことという線引きははっきりさせるべきだと思うのだ。


教師と生徒のどちらが悪いとか、生徒に対する愛情の深さとかそういうこととはまた別の話。そこをごっちゃにせずに「いけないこと」は「いけないこと」とするべきで、「〇〇ならば体罰は仕方がない、やむを得ない」を通用させてはならないと思う。

どうしようもなくお腹が空いてお金がなかったからといって食べ物を盗んでいいことにならない。「そういう事情なら仕方ないよね、盗んでもいいことにしよう」とはならない。やっぱり人の物を盗むのはいけないことというのが、世間の共通の認識だ。それと同じで体罰もそうあるべきと思う。


だからといって何もできないまま耐え続けなければならないというのはあまりにも酷な話で、当然のことながら教師の身の安全は何があっても守られなければならない。

「無抵抗だとわかって挑発する行為」も容認してはならないし、それも暴力行為と同様にあってはならないこととして厳しく対処すべきだと思う。教師や格闘家などを護るためにも。

この点は、ダウンタウンの松本さんさんと同意見だ。


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今回の事件とは逆に、生徒側が教師へ暴行する事件も多発している。

場合によっては、警察が介入し法的手段によって適切に対処することも必要なのではないだろうか。


少年法は少年を罰するのではなく、更正させるための法律です。教育の現場ではカバーしきれない、「犯罪」という社会的ルールから逸脱してしまう行為をした少年を司法の場で適切に対処し、大人の社会のルールに適合させるようにすることは法の理念にかなうはずです。

役割分担は必要です。犯罪ではない、先生が対処できる範囲は教育で、暴行でも傷害罪になる場合や、なりうる強度なものの場合には、学校として警察と連携することは否定されるべきではないと思います。

これは、弁護士ドットコムというサイトの多田猛弁護士のインタビュー記事なのだが、その通りだと思う。


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