【3;swords】クリスマスは大嫌いだった。
忘れもしません。あれは私が9歳のころ。
寒い夜、父と兄と三人で一つの布団に入っていました。
「サンタさんって、本当はお父さんでしょ?」
兄が唐突に尋ねました。
私は息を飲みました。9歳の私は、『サンタさんが世界中の子供のプレゼントを届けられるわけない、しかも寝てる間に。』というおませさんの理屈を耳にしたものの、去年の冬に来たのはサンタさんだったと信じていたからです。
去年のサンタさんはドジっ子で、盲腸で入院した母の病室にプレゼントを届けたのでした。あわてんぼうのサンタクロースに届けてもらって感激したものです。私はその時もらったドラえもんの目覚まし時計を見つめていました。
サンタさんはいる。
父にはそう言ってほしかった。祈るように回答を待っていました。
父の返事は、
「バレたか。」
・・・・もうちょい引き下がってもよくない?あとワンターンとぼけられたくない?
喉につかえた小骨のように、ずっと私は怒っていました。9歳の私はクリスマスが大嫌いになりました。クリスマスのイメージを父に対する失望と紐づけてしまっていたのです。
次の日から、あのおませさんに加担して、『サンタさんなんていないんだよ』チームに入りました。サンタさんの存在に羨望を抱くクラスメイト達に嫉妬する自分から目を背けるように。
「お父さんが言ったもん。寝てる間にこっそり置いたって。」もう逃げられなくなる理屈をかまし、純粋無垢な『サンタさんからプレゼントもらった』チームを論破する度、心に空洞ができるようでした。私は見ないふりをしてきました。
クリスマスが『恋人たちのもの』になってからも、ふてくされ続けました。「人工的な物質でキラキラさせるだけの無意味な時期」なんて言って、クリスマスデートを台無しにしたこともあります。ごめんね、あの時の彼。
時は経ち、私は母になりました。子供は、何よりも私を成長させてくれました。
娘たちが三歳の頃の動画を見返しました。
子供たちの起き抜けの開いてない目と「クリスマス」というとパっときらめく幼い笑顔。
リビングに駆けていきツリーを見つけて飛び上がる姿。プレゼントを手に取り大きく開く眼差し。
そして蘇る自分の感情。前日までにあくせくと準備したラッピング、熟睡したのを確認してそっと置いていったプレゼント。
サンタさんへのお供え物として用意したクッキーとお茶を、慌てて食べた演出で残した食べかす。その時の観客のいない渾身の演技。
ワクワクしました。とても楽しかった。あの笑顔、あのリアクションをまた見れるなら、その為ならちょっと夜更かしするくらい、ちょっと頑張っちゃうくらいへのかっぱだと知りました。
それから、一年を生きた自分への家族への周りの人たちへの労いの気持ちが、湧き上がります。
クリスマスが12月25日なのは理由があるな、と思いました。だからみんなクリスマスが好きなんだ、って理解しました。なんかいろいろあったけど、今日はもう、楽しんじゃえってなるちょうどいい日なんだと思います。少なくとも私にとってはそうです。
赤と緑で彩られる特別な日。
恋人同士が特別なことをする口実になる日。
ファンタジーが生まれる日。
ファンタジーを生み出す日。
一年を労う締めくくりの日。
それぞれのクリスマスがあって、それぞれのストーリーがある。全部、12月25日縛りのオムニバス。
私は今年もせっせとクリスマスを創作中です。クリスマスのクの字が過ぎるとソワソワし出す、今の私はクリスマスフリークです。(でも仏教徒)
「サンタさんってお母さんでしょ?」って聞かれた時の言い逃れ術を日々研鑽中。父への恨みは消えていません。