労働組合の美意識

労働組合の歴史と意義

日本では労働組合は戦後に企業別組合として、急速に組織化してきたが、昨今組織率に低下が指摘されて久しい。労働組合なんてもはや意味がない、入る必要性があるのかという声も聞こえるが、さりながら未だになくならずいる点に、何らかの価値があると考えるのが普通だろう。惰性だけで残るには困難である。

賃金交渉であるベースアップはニュースになるが、かつてほどの勢いはない。戦後はインフレが激しく、賃上げが至上命題であった。ベースアップという生活に直結する問題で、団結してきた。一方、数十年の歴史を超える労働組合であれば、長年のベースアップ、処遇の改善というストックを重ねることで、その必要性は薄れてきた。

労働組合の成熟と美意識の変化

時間が経つと、組織というものは成熟するもの。

成熟というと成人発達理論になぞらえて考えるとわかりやすい。人は、意識を発達させていく。その過程で自己中心性の減少新たな視点の取得を果たす。労働組合という組織も意識を発達させてきた。その結果、組織も自身の存在の重要性から外部の視点や会社の存続というものを意識していく。今の労働組合の美意識が変わってきたのだ。

最近の労働組合は主張がなくなったというが、それは成熟の現れであり、社会や会社における労働組合という多面的な視点を持つようになったからに他ならないと思う。

労働組合という組織教育のプラットフォーム

逆にその労働組合というプラットフォームは今や若手組合員の教育の場という役割を持っているといえる。組織に対する視点を持った上で、組合活動は組合員自らが作るものである。普段は会社の指揮命令のもとで、社会につながるやりがいはある一方で、自由度の低いということは逃れられない。一方で組合活動は自らの動機づけから動くことが可能だ。

また組織を見渡してみると、実に色々な人がいる。それぞれの生活がある。絶妙なバランスの上で会社が成り立っている感覚を見につけることができる。特に年齢の高い方までいる伝統的な企業であればなおさらその多様性と時には諦めが必要なことなど、実に豊かな体験がある。

労働組合はこうした組織教育プラットフォームとして十分に機能しているかどうかが、強い会社を生み出すかどうかを左右しているように思える。若手の組合員が組織を意識する。そのうえで若手として健全な批判を上げることができる。組織としては理想的な状態と言えるだろう。完全にフラットな組織でなくても、フラット感が出る。経営層にとっても、若手にとっても健全でいられる。

言うは易しだが、こうしたプラットフォームとして機能するための具体的なアプリケーションに該当するような実際の活動をどのように組み立てるかということがとても重要になる。そのコツは他のnoteの記事に譲りたい。

労働組合が実は組合員の教育のプラットフォームという視点は、「議員にとっての花柳界」に通づるように思う。花柳界を通して、先輩議員から見の処し方を教わってきたという。芸を通じて価値観を伝承し、倫理や道徳が継承されてきた。それが今やクラブやキャバクラに置きかわったって来ているという。その結果、プラットフォームは失われ、問題が起きやすくなっていると指摘されている。

労働組合のリデザイン

労働組合=賃上げという単純な構造ではなく、組織教育のプラットフォームとしての役目があると思うし、労働組合の美意識は、自分だけ自己満足から「会社と共存共栄」「自律」に移っている。そのプラットフォームとしての意義や、美意識が伝わる活動をデザインしきらなければ、不要論が出てくる。しかも内部の組合員から。それは労働組合のグランドデザインを任されている委員長の役目でもあり、組合に関わる全ての人が責任を持たなくてはならない話である。

組合デザインが折り返し地点に来ていることは間違いない。


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