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#社会人1年目の私へ
「真実は小説より奇なり」という言葉がとても好きで。
人生はストーリーだ、という。
そして、その通りだと思う。世界にひとつしかないストーリー。
でも、そのストーリーが、きれいにまとまったものであることは、まるでないと思う。
こんな幼少期を過ごし、こんなことを夢見て、いろんな出会いを経て、ときには挫折し、でもその挫折にも意味があって、いまの自分がいるんです。的な。
でも実際は、そんなきれいなストーリーになっていることってなかなかないんじゃないかなーと思ったりする。実際はそんなにきれいにまとまってくれないし、そんなに上手く結論付けさせてくれない。
「5年後、10年後のキャリアビジョンを教えてください」という質問が大嫌いだった。そんなの知るか、と思っている。今でも。
長期的なビジョンがあった方がいいというのもわかる。そういうことを語れる方が「考えている風」を装えることもわかる。でも、実際のところ、5年後10年後の自分が望むものが何か、なんて、わかるわけがない。
「考えてる風」を装うために、いろんなことをこねくり回して、美しくてまとまったわかりやすいストーリーをいつもいつも作り込んでいた。過去の自分の経験、学んだこと、生かせること。それらをきれいに繋ぎ合わせて、つぎはぎの境目がわからないように誤魔化して、美しく語る。そうやっていることの意味は、すべて「相手のため」だった。自分にとって意味のあるものではなかった、と思う。
「5年後、10年後のキャリアビジョンを教えてください」という質問をいったん捨てたとき。いまの自分がやりたいことはなんなのか、だけを見つめたとき。初めて自然に、「将来やりたいこと」が浮かび上がってきた。それは、過去の自分の経験やら専攻やらなんやらとはまったく異なるものだった。それは初めて、「自分にとって」意味のあることだった。初めてちゃんと、やる気が湧いた。
どんなに耳馴染みのいいストーリーを作ったとしても、どんなに美しく描いたとしても、実際はその通りになんてならないから。
一見、なんで?なんでそうなんの?と思うようなことを思いついたり、起きてしまったりするのが人生だと思う。それに意味があるかどうかなんて、さっぱりわからないし。そんなこと、どうだっていいような気もする。
死ぬときに、なんかいびつだけど、味わい深い人生だったねー、ふふふ、くらいのノリで思えたら、ほんとの勝ちだ。「人生を思う存分味わえた勝負」の勝ち。対戦相手は、自分に起きるたくさんのサプライジングな出来事たちと、自分自身。
「勝ち組」なんて言葉に、惑わされちゃだめだよ。
Sae
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