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「女」という生き物

「男性」「女性」という生物学的な括りとは全く別の、
「女」という生き物がいる気がする。

それは、自分の中にも存在しているような気がするし、
もしかしたら男性の中にも存在している人もいるのかもしれない。

最近NHKで放送している「ミストレス」というドラマにドハマりしている。年齢も立場も恋愛観も生活も様々な女性4人の、ラブサスペンス。

「ラブサスペンス」というととてもシンプルでわかりやすいが、その内容は全くもってわかりやすいものではない。
「真実は小説より奇なり」というけれど、それを地で行っている。これはドラマのはずなのに、脚本があるはずなのに、このドラマの中で起きていることがすべて、直観的には「真実」のような気がしてしまうから、面白いのだ。

ある女性は、医師をしているが余命短い患者と不倫関係に陥り、その患者が亡くなった後、その患者の息子と恋に落ちる。ある女性は、夫が海外赴任先で行方不明になり死亡認定がおりて保険金を手にした瞬間に、近場の男性から誘われる。ある女性は、不妊や子作りのストレスで部下の男性と関係を持ち、妊娠してしまう。ある女性は、それまで男性に対して積極的だったのに、ある女性とのキスをきっかけに、抱いたことのない感情を自覚し始める。

どれも、「まさに、ドラマって感じ」という設定なのだけれど、いかにもな「真実」に見えてしまう。この話は「真実は小説より奇なり」という言葉の「小説」ではなくて「真実」の方だなぁとあっさりと感じてしまうということは、私の中の感覚にも、どこかに「女」が潜んでいるからだなぁと自覚したりする。

ここで言う「女」の定義は、難しい。生物学的な「女性」とはまた異なるような感じだ。
そんなことを思いながらこのドラマの主題歌であるNakamuraEmiさんの「ばけもの」という曲を聴いて、答えが出た気がする。簡単にまとめてしまうと面白くないし、というかまとめられないので、「あぁ、こういうところだなぁ」と私が深く共鳴した「女」な歌詞を載せてみる。本当は一部を抜粋しようとしたけれど、全てが重要な歌詞な気がしたので全部載せることにした。
(この曲、まだ正式にリリースされておらず、私が曲を聴いて勝手に文字起こしをしたので、実際の言葉や漢字・表記が異なる可能性がある旨、ご認識ください)

この人は私を幸せにはしてくれない
世にも恐ろしいことに
自分のせいなこともわかっている

仕事と世間と自分と闘い
「女は元気だ」と世界は言う
本当は言いたい雑念を飲み込んで
不安はお風呂で流したつもり

髪と顔をなんとか整え
チョコを片手に今日もゆく

神様が与えた女の辛抱強さ
それを時に「我慢」に変えた
それが時に「美徳」になった

完璧がやけに美しく見えた
勘違いした私は
ややこしい鍵を自分にかけた

こんなの野良犬に噛まれただけ
大丈夫。って思っていたけど
帰りの電車で涙が溜まって
落ちないように落ちないように

またお風呂で流したつもり
明日もやっぱり歩いてくの

20代終わりだ、どうしようって騒いでた頃が懐かしい
”レディの嗜み”、”恥じらい”
様になってきた最近だけど
玄関開けて、なだれ込む
ヒール、鞄、放り出し
下着、ヘアゴム 外したら解放された気がして
Tシャツ ズボンに入れて寝たいし
野菜よりお肉が食べたい
肌荒れ隠して余計に荒れて
だって、チッて、大泣きしたい

女を生き抜くために
弱さを丸めて捨てたけど
残念ながらその弱さ
私らしさでもありました

顔を髪も怠けてさ、
チョコもコーヒーも両手にさ、
明日もちょっと頑張ってみますか
やっとお風呂で流せた気がする

神様が与えた女の切り替え
それをまさに魔法みたいで
それはもう答えみたいで

変わるわよ、女は
一生、一生
よく見ておいて
見ておかないと
女はばけものって言うでしょ

私を幸せにできるのは
世にも恐ろしいことに
ややこしい「私」です

結局、「女」はアメーバのように自分を変えたりする。
相手や環境、ふとしたその場の空気に合わせて。でもそうやって踏ん張って演じきって、頑張りつくしたその先にかなぐり捨てたものが、実は一番捨てたくなかった大事な「自分らしさ」だったりする。そして今度は、その「自分らしさ」を取り戻すために、また闘うのだ。最後の最後、自分のことは自分でしか理解できない部分がうまれる。そんなところが「女」の面白さだったり魅力的なところだったりする。

私は、そんな風に解釈しましたが。
皆さんの中に「女」はいますか?

Sae

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