『ROMA/ローマ』を観て。
第91回アカデミー賞が発表されましたね。
個人的には「グリーンブック」早く観たい・・・!と思っているのですが、今日はNetflixオリジナル作品であり、今回、監督賞、撮影賞、外国語映画賞を受賞した『ROMA/ローマ』を観たので、ほやほやの感想をば。。(本当に5分前に観終わりました)
この作品、ぱっと見の作品紹介のされ方や予告編、巷のレビューを見ていると、なかなか難しい作品(少なくともキャッチーではない)なんだろうなぁとは思っていましたが、予想通り、キャッチーでわかり易いものではありませんでした。でも、それを超えたものがあったし、なぜこんなにキャッチーにしていないのかというのも私なりに腑に落ちたところもあったので、感想を書きます。ネタバレしないように書こうかなとも思ったのですが、たぶん無理です。ただ、この話はストーリー以外の部分に良さが詰まっていると思うので、ストーリーを知っていても味わえるとは思います。以下、自己責任でお願いします(笑)
舞台は1970年代のメキシコ。主人公はクレオという家政婦。4人の子供たちがいる賑やかな雇い主一家との関係を軸としながら、クレオの目線で物語が進んでいきます。
まず、この映画は全編白黒です。私は白黒の映画をとても苦手に思っていたのですが、これはあえて白黒にしたんだな、と初めて心から思えた映画でした。全体的に長回しのシーンが多く、冒頭からかなりの長回しなのですが、余計な色彩や色による情報、気になることが一切排除されるから、音や声、漂う空気、何より人の表情に意識が勝手にフォーカスされていく。それくらい、クレオの周囲に漂う空気やクレオの敏感な感情の動きを捉えなければ、この映画はあんまり面白くないんだと思う。
そして、クレオが結構びっくりするくらい喋らない。ものすごく静かで、凪のように、ただそこにいる、というシーンが多い。でも、クレオの声は聞こえてくる感じがするんです。カメラの動きも、クレオの表情を客観的に捉えているはずなのに、観ていたら全てがクレオの目線・感情に持っていかれる。
クレオの目線になってしまう理由って、きっとクレオが持つ「自分はどこまでいっても一人である」というような孤独感やよそ者感なのだと思う。家政婦として住み込みで働いていて、雇い主の一家は比較的優しくて、クレオは4人の子供たちのことを心から愛して、大切に世話をしている。けれど、雇い主と家政婦という関係は何があっても変わることはない。望まない妊娠をしてしまったときも、最初に「クビですか?」と聞いてしまうほど怯えてしまう。家族扱いしてくれても、家族ではない。
一度は愛し、一度は心を許した相手との妊娠を歓迎されなかった寂しさ。そしてその相手がいずれは人に銃を向けるような人になってしまったこと。人をそうさせてしまう政治的混乱。そのすべてを一人で受け止めようとするクレオの孤独感と、それに必死で耐えようとする寡黙さがとても丁寧に描かれていたと感じた。どこまでいっても、よそ者である自分。
内乱の中、必死で出産に臨み、死産とわかったときに流れた涙。そして、海で溺れかけた(雇い主の)子供2人を死ぬ覚悟で助けたあとに思わずこぼれた「本当は、(自分の子供に)生まれて来てほしくなかった」という言葉。この2つのシーンは、胸にこみ上げるものがありました。
演出面でも、ものすごく繊細で、人柄や空気感を言葉にせずとも表すシーンがたくさんあって、あぁすごいなぁこうやって表現するのかと思ってしまった。
愛人をつくり家を出ていく旦那(雇い主)の粗暴な車の扱い方。
犬のフンが駐車スペースに転がっていることを一度は注意されたけど、なかなか綺麗な状況が保てずいつもそこら中にフンが落ちていること。
山火事のときに、おそらく宗教に基づいているのであろう歌を歌うおじいさんがいるのだけど、そのおじいさんの歌の歌詞は字幕で出てこない。
溺れかけた子供2人は、クレオが助けてくれたことではなく「溺れかけて大変だったの!」ということを何より先におばあちゃんに報告する。
ここまで丁寧に、人の感情にフォーカスするのか、そしてこちらまでフォーカスされてしまうのか、と脱帽した映画でした。
なんだか、感性を試される映画かも。でも、「わからない」も「つまらない」もありだと思う。それも、そのときの感性の在処かもしれない。
私はNetflix大好き人間なのですが、本当に面白いオリジナル作品がたくさんあるので、まだ登録していない方はこれを機会にぜひ。
Sae