【物語】 流れゆくもの
五月も半ばを過ぎまして、そろそろ山田屋の水羊羮が恋しくなり始めた頃ではございませんか。
千紫万紅の華やかなる春が過ぎ去り、葉桜となった桜の樹々も、そよそよと風に身をまかせて安息している様子でございます。
花色よりも新緑の葉の眩しさに心癒される季節となりました。
水田の縁を飾っていた桜の花塵もいつの間にか姿を消し、今は青々とした苗と斜線に流れる波が靡くばかりです。
しかし、その水田に西陽が射し込みますと、まるで金粉を散りばめたように水面が煌めきまして、何とも言えず綺麗なのでございます。
まるで水の布に金の糸で刺繍したような美麗なる変わり様なのでございますよ。
煌めく湖面の美しさとまでは申しませんが、まるで泥水である事を忘れさせてくれるような、そんな美しさがありました。
水田ばかりではなく、ただただ勢いよく流れる側溝の水や、積み重ねた石の間から溢れ出て流れ落ちる水にも、漲る生命力を私は感じたのです。
造作もない水と光に、明日を生きる糧を頂いた心地が致しました。
励まされたと申しましょうか、慰められたと申しましょうか。
とにかく元気、いや元気になる力を頂いたような心持ちだったのです。
こんな些細な事でも、人は生きていけるのですね。
自然から与えられ生まれたものが、今の私の生きる活力となっております。
あらゆるものに対しての糧となっておるのです。
だから、貴方様からの心配はもう無用でございます。
どうか安心して、今の御家庭を大事に生きてくださいませ。
皆様の幸多からん事を心よりお祈りしております。
あぁ、もうすぐ栗花落ですわね。
初夏のきまぐれな気候には振り回されてばかりです。
暑いやら寒いやらで、栗花落過ぎて初夏なのか、初夏過ぎて栗花落なのか、判断しかねる何ともあやふやなる気候が続いております。
躑躅にあやめに藤の花、そして紫陽花。
憂いを帯びて咲く初夏の花には、何とも言えぬ風情を感じます。
しかし散歩していますと、野に咲く花々には小さくも鮮やかで華やかな花色の野花も多く、憂いの色ばかりではないと深く感じ入るのです。
また自然に大事な何かを教わったような心地が致します。
誰にも知られず咲く小さな命がございます。
誰にも知られず逝く小さな命がございます。
誰に認められなく逝く命であっても、咲いていた事実に嘘はありません。
ちゃんとここに咲いていたのです。
ちゃんとここに存在していたのです。
野花はそれでも幸せだったのだと、私は信じたいのです。
やはり傲慢な考えなのでしょうか。
貴方も、そうお思いでしょうか。
貴方はどうお考えに……否、今更せんない事ですわね。
流れとは、酷なものですわ。
しかし、流れに身をまかせるしかないのでしょうね。
現実を生きるという事は、そういう事なのでしょう。
あぁ、何と切ないものなのでしょうか。
流れ、というのは……。
─ 完 ─