老眼と美しい文章
日常に軽く薄いものが、音もなく剥がれ落ちる
想像してみる。それは、単にティッシュのようなものかもしれないが、何かの象徴かもしれない。
少しずつ少しずつ傾いてゆく、何かのきっかけのようなものを「軽く薄いもの」という言葉で表現しているのかもしれない。
この文章は、オノマトペの辞書に載っていた。
「はらはら」という擬音の説明なのであった。
私はハッとした。なんて美しい文章なのだろうと。
でもよくよく見てみたら、「日常」の部分は本当は「非常」と記されていた。
そう、私は目が悪いのである。
先日もInstagramで先輩が紹介している本のタイトルにハッとした。
「美術は塊に語りかける」
「塊」とは、、、?
私は、思考を巡らせた。これは何かの象徴なのだと。考えろ、私。
塊、集団?まとまった考え?凝り固まったもの?
ものすごく考えてふともう一度見ると、「塊」ではなく「魂」であった。
そう、私は目が悪いのである。
よく見えないから、雰囲気で見ていて、そこにはきっと自分の意図も入って脳で勝手に作られた言葉。目が悪いからこそ味わえる世界があるなあ。私は無意識に美しい言葉を探しているのかもしれないなと思ったのでした。
まだまだ暑いけど夏が終わりそうですよね。
涼しくなったら、山登りやキャンプに行きたい。
大自然に静かに身を置きたいのです。
というか、老眼が始まったのかな?