息子と吃音
息子がたどたどしくも二語文を話し始めたのは、二歳一ヶ月の頃。単語自体なかなか話し始めが遅くて、一歳十一ヶ月頃になってようやく「ごはん」「パン」「麺」といった食欲ワードを中心に語彙を増やしていた。
そんな息子が、「トンビ、いる」「ばば、自転車乗った」「パパどこ行った?」「お茶もうちょっとください」と喋る様子が可愛くて嬉しくて、私は毎日のように手帳に息子語録をメモしていたものだ。
ところがである。
保育園入園から一ヶ月経った頃、それは始まった。
息子は二歳三ヶ月になり、保育園のお友達に刺激を受けてますますお喋りが上手になってきた矢先だった。
「ママママママ、ママ、おおおおおお、お茶、ちょうだい」
最初は、ふざけているのかと思った。
「何その喋り方?マが多過ぎるよ」なんて言って笑って返していた。それが吃音であると認識したのは、次の日になってからだった。
「マ、ママママママ、ママ、こ、ここここれ」「そろそろやめなさいそれ。変なクセつくよ」
注意する私に、息子は「?」を顔に浮かべていた。その時ようやく気付いたのだ。「あ、これはわざとじゃないんだ」と。
狭い世界で生きていた私は、それまで吃音の人に出会ったことがなかった。もしかしたら、気付かなかっただけかもしれない。まさかそれが自分の息子に発現すると想像したことすらなかった。その日から、私は時間さえあれば「二歳児 吃音」「吃音 治し方」と検索をかけて医学コラムや経験談を読み漁った。
実は、幼児期の吃音は珍しいものではないらしい。特に言葉を話し始める二〜三歳児の、それも男児に多く見られるらしく、そのうちの八割は小学校に上がる前には吃音の症状が無くなるという。(サイトによっては七割だったりもして、心臓がキリキリ痛んだ)。自分の息子が、その七〜八割のうちに入るという保証はない。
とにかく、まずは悪化させないためにも吃音に対して親はどう向き合うべきなのか。それを調べて家族で共有した。
当時のメモが、携帯に残っている。
とにかく重要なのは、吃音を指摘しないこと。言い直しをさせないこと。からかって真似しないこと。言いたいことを汲みとって先に言ってしまわないこと。「ゆっくり話してごらん?」などと言わないで普段通り最後まで喋り終わるのを待つこと。
正直に言うと、私は初動を間違えた。やってはいけないことを全てやった。吃音を指摘し、何度も言い直しをさせた。ゆっくりでいいからちゃんと話しなさいと怒った。最後まで話を聞かずに、「はいはい、お茶ね」と言葉を遮った。
それが吃音だと知って、正しい対応の仕方をネットで調べてからは、徹底してそのルールを守った。それでもまだ不安は拭い去れずにいた。
息子に厳しい態度をとった自分を悔やみ、自分に苛立ち、毎日のようにTwitterに毒を吐いた。私のせいで悪化したらどうしよう。一生治らなかったらどうしよう。原因も私にあるんだろうか。
そんな時だった。
「私、吃音症なんですが...」
以前、アニメか漫画の話で意気投合して相互フォローした方から、メッセージが届いた。
「頭の中で言いたいことがぶわーっと溢れて、一気に言おうとして言葉に詰まることがあるから、落ち着いて言える環境や相槌を打ってあげて、最後までよく言えたね。など自己肯定感を高めてあげても良いかもしれません。」
彼女のくれたアドバイスと優しい言葉に涙しながら、私はより一層自分を恥じた。
こうやって文字のやりとりだけでは絶対に気付けなくても、吃音症と共に生きている人もいるんだ。そんな当たり前のことにすら思い至らず、「一生治らなかったらどうしよう」なんて配慮に欠けることを私は言ってしまっていた。自分の視野の狭さが、どうしようもなく恥ずかしかった。
吃音症になったからといって大袈裟に悲観するのは、今現在吃音症を抱えながら生きている人に失礼だ。
それからの私は、考え方を変えることにした。吃音症が治らなかった場合、息子の精神面をどう支え、鍛えるか。学校でからかわれる可能性もゼロではない中で、どう周囲への理解を広めていくか。
将来に大きく関わるほどの障害ではないと割り切ってからは、もう以前ほど焦りも悲観もしなくなった。
息子の未来は明るい。
たとえ少し喋るのが苦手だとしても、個性の範疇で押し通せば良い。アナウンサーのような特殊な仕事でなければ、何にだってなれる。それこそ息子は抜群に可愛いんだからモデルにだって...。
親バカを炸裂させながら少しずつプラスの方向に考えるようにして、一ヶ月。
気付いたら、息子の吃音はなくなっていた。
今思うと、あれは脳の調整期間だったのかもしれない。言いたいことが頭の中にわーっと溢れて、それを一気に伝達するには、まだ経路が十分に発達していなかったとか。
真相は分からないが、とにかくこの出来事は「障害」というものに対する私の姿勢を変えさせてくれた。
Twitterで勇気を出して私にアドバイスをくれた彼女の存在が、何よりも大きい。不躾な私の言葉できっと傷付いただろう。それでも優しい言葉で親としての接し方を教えてくれ、私の心に寄り添ってくれた。感謝してもし切れない。本当に、ありがとうございました。
そして、もしこれから私と同じような状況に直面する人がいたら、絶対に覚えておいてほしい。吃音をからかってはいけないこと。厳しい態度で言い直しをさせてはいけないこと。普通に接して最後まで話を聞いてあげること。
人はそれぞれ、見えなくても何かしら困難を抱えている場合がある。それら全てを「障害」という言葉で語ってしまうこと自体、あまり好ましくないような気さえする。症状の程度は人によって違うし、障害だと思うかどうかは人によっても異なる。
ただ私たちに出来ることは、お互いに相手の人生を尊重することだけ。子どもの人生だってそうだ。親が勝手に悲観してはいけない。
後日談として。
吃音が治まってからの息子は、寝るか食べるか喋るかしかしていないと思われるほどの、お喋りモンスターになった。暇さえあればずーーーっと喋っている。本を指差して「これは何だ?」「これ何?ねぇ何?」と質問責めしてくる。ここで得た知識は、後日何度も繰り返し披露される。「魚が進化して陸に上がって空を飛んで鳥になるんだよ」「隕石が落ちてきたんだよ」「これ、アノマロカリス」
自然に完治するとされている八割に入れたのは、ただの幸運かもしれない。それでもやはり、あの時ちゃんと対処法を調べて実践出来たことは絶対に意味があったはずだ。
吃音が治って間もなく、今度は喘息の危機に直面するのだが、それはまた別の機会にnoteにまとめるとしよう。