#46「LIGHTHOUSE 〜僕たちのヒーロー〜」
今から7年前、高校2年生の自分。
あるドラマをきっかけに、星野源という人にハマった。
そして、深夜ラジオを聴くようになり、オードリーの若林正恭という人にハマった。
今から半年ほど前、何がこれから行われるのかもわからないまま座らされたライブハウスの座席で、目の前に起きていることが一瞬現実なのかわからなくなる事態に陥った。
源さんと若林さんが目の前に並んでいる!
普段なかなか大人数の中で感情をあらわにするタイプではないが、この時だけは「おぉー」という声を出してしまった。目の前で起こっている事と、自分自身のリアクションにダブルで驚いていた。
情報解禁まで誰にもこのことを話せないという重い十字架をみんなで背負うことになり、早いもので半年ほどが経って、先日ようやくこの番組の存在が公に解禁された。
この素晴らしい瞬間が、なぜか体調を崩して入院したタイミングと重なってしまったが、病室のベッドから源さんや佐久間さんのラジオを聴いて、観覧直後の熱量が一気に蘇った。
情報解禁されたのをいいことに、自分の周りの人にことあるごとに宣伝しまくった。自分と同じ熱量で受け取って共感してもらえると勘違いしたように。(こういうところがよくない…)
いよいよ配信開始
いてもたってもいられず、配信開始の前日からこのnoteを書き始めた。
0時になった瞬間に公開されるものだと思って前日からソワソワしていたが、夕方から公開されるということで、LIGHTHOUSEのための夜ふかしのモチベーションは、仕方なく残って持ち帰った仕事へと向けられた。
22日(火)は、正直1日中仕事が手につかなかった。
一刻も早く「 LIGHTHOUSE」を見るべく、仕事を片付けて帰宅したいと思っていたのに、気になりすぎてソワソワして手が進まないという悪循環。
急ぎではない仕事は、翌日の自分を信じて全て投げ出し、帰宅途中の電車内から #1 を見始めた。
※以降、ネタバレを含みます
#1 何かが起こりそうな予感
源さんと若林さんが過酷な下積み時代を過ごした阿佐ヶ谷を舞台にして始まった第1回。
いろいろな偶然が重なってこの回のロケ地になった喫茶店は、若林さんが若手時代に前健さんに朝まで説教を受けたりなど、濃い思い出が詰まった場所だということで、それを思い出した若林さんは思わず、「こういう時って何か起きる」と笑いながら言った。
エンタメの裏側的なものが大好きな人間にとって、このひとことは勝手にわかったように共感したくなるもので、自分にとって引っかかった。
その通り、誰もがわかるようにこの番組はシリーズとして、“何かを起こしている”し、現に10代後半から今にかけておふたりに大きな影響を受けてきた者として、待ち望んだエンタメの誕生と、世間よりも少し早く、個人的に人生に絶望していたタイミングでその事実を知ることができて、生きる希望が持てたのは間違いない。
#1 のなかで、若林さんが「中間管理職」というキーワードを挙げたのが印象的だった。
個人的な話になるが、数ヶ月前に仕事で精神的な不調で限界を迎えた時、助けてくれなかった中間管理職の上司のことがしばらく引っかかっていた。
最初は、SOSを出しても助けてくれないことに怒りを覚えていたが、それがやがて絶望へと変わり、自分の中で何かが弾けて休養とともに時間ができて、あらゆることを俯瞰で考えたときに、自分はその上司のことを「かわいそう」だと思うようになった。
上からの圧力と、思うように機能しない部下(なんでも思ったままに言動を起こす今の若者)に挟まれていて、社会的にこの立場の人たちが一番辛いんだろうなと勉強になった。
社内や自分の周りの「中間管理職」の人間に、のびのびと仕事をしている人を見たことがない。
芸能人である2人であっても同様の壁に直面しているのだと思ったら、自分が見ている光景が間違っていないのだとわかり、少し気持ちが楽になるとともに、数年後に訪れるであろうその時期が怖くもある。
#2 東京への憧れ
#2 のテーマは「東京〜光と闇〜」。
田舎者の自分からしたら、東京出身の若林さんはもちろん、埼玉出身の源さんも“都会”の人だと思うが、2人にとっても「東京」に対して思うところがあるみたいで、その話が非常に面白かった。
この2人のトークを聞いていて気づいたが、自分がこんなにも「東京」への憧れを拗らせて、色々と悩んだ末に社会人になるタイミングで上京したのは、高校生の頃にお二人がそれぞれでやっているラジオにハマり、それに影響されたことが大きいのではないかと思った。
港区で働いているが、港区への偏見はめちゃくちゃあるし、街中でそういう人たちを見かけると笑ってしまう。
源さんの「どこに動くにも人の目がある」という話からの、「人間は自分がどう思われているのか考えないと生きていけない」という言葉が刺さった。
今になってわかるが、幼少期から自分は”他人から認められたい”という人間だった。周りのみんなと同じことをしていたら難しいから、少し違うことをやって大人たちから褒められないか探ってみていたような気がする。
中学生の頃からSNSが少しずつ発達し始め、高校生の頃には当たり前のようにTwitter(現 X)という“居場所”があったような気がする。
学校にいたら、テストや模擬試験で良い結果を出すことばかり迫られて、その結果でした自分を評価されない。
それが面白くなかった自分は、受験生にも関わらず深夜ラジオを聴きくり、ハガキやメールを送ってはそれが読まれることに一喜一憂していた。
当時はこれが自分なりの「自分がどう思われているのか考えないと生きていけない」状態だったのかもしれない。
これは社会人になっても変わらず、大人数と変わらない仕事を任されて、それに満足できずに精神的に苦しくなっていたが、逆に誰もまだ踏み入れていないような領域で仕事を任されたところで、自分で手探りのままに進まないといけないのが難しい。
#3 飽きたと言えない
#3 の象徴的なシーン、というかこの番組のメインシーンと言えるのではないかと思うが、源さんが若林さんに言った「飽きたんじゃないか」というくだりは、当事者でもなんでもないが頷きながら見てしまった。
ただの一視聴者としての視点に過ぎないが、数ヶ月前に全く同じようなことを勝手に考えていた時期があった。
今の仕事を始めてからというもの、企画書を出す際には若林さんをMCにしたものを毎回意地で出すようにしている。
若林さんはラジオで、今のレギュラー番組への愚痴や不満を恐れずに言っている印象があり、それを聞いていると、「じゃあ一体何がやりたいんだろう」と疑問ばかり浮かび、自分の中で企画が思い浮かばなくなった。
それで勝手に「結構飽きているのかも」と思ってしまった。
#4 で出てくる声出し可能になった源さんのライブに私も参加しており、その帰りに「星野源×若林正恭」の番組をやりたいと心の底から思った。
ただ、この2人の番組は音楽番組ではないだろうし、サブ出しのバラエティでもないだろうし、よくわからないなーと思っていたら、2月11日の池袋でトークバラエティという形で目の前で実現していた。
#4 強くなると人に寄り添えなくなる
何回だって自慢するが、
2023年2月11日、何も知らされないままに集められた池袋のライブハウスで、目の前に2人のスターが現れた。
当時何もかもがうまくいかずにどん底だった自分にとって、その事実だけでも希望が持てる出来事だったが、お二人が話す内容がとにかく自分に刺さりまくって、そのひとことひとことに笑ったり泣いたりした。
その中で特に刺さったのが、
「強くなければ次のステージに行けないけど、強くなると人に寄り添えなくなる。」という若林さんの1行日記からの言葉。
ちょうど1年前、かなり無茶な働き方をして削られていた頃、忙しい日々の中で嫌でも色々な面が鍛え上げられているのを実感していたが、同時に周りのことが見えなくなり、全てが自己中心的になって、他人のことなんてどうでも良くなっているのが、なぜか客観的に感じられた。
自分の先輩が脱落していくのを目の当たりにして、逆に脱落していない人たち(強い人たち)は、自分がSOSを出しても助けてもくれなかったため、人に寄り添えなくなるようになっているというのは強く感じた。
若林さんがこの場面で言いたかったのは少し違うことなのかもしれないが、社会で昇進していくということもこれに当てはまるのではないかと個人的に感じた。
この場面の話に限らず、この収録で出てきた色々な言葉がとにかく刺さって、当時沈み切っていた自分を照らしてくれるような気がしていた。
収録が終わって外に出た瞬間、刺さった言葉の数々を忘れないように、スマホのメモに書き残そうとした。
ただ、自分の記憶力は大したことなく、刺さったはずの言葉を全て一言一句そのままには思い返すことができず、残すことができたのは「強くなければ〜」というのと、OAには残っていないもう一つ自分にとって大切な言葉となったものだった。
#5 共感
「次のツアーでやめると思う」
第一線で活躍する人が、周囲にそんなことを漏らしながら活動しているとは思わなかった。
自分の憧れの人(=ヒーロー)が、想像を絶する苦悩を乗り越えてきた話を聞くと、なぜかすぐに自分に重ねてしまい、勝手に分かった気になってしまう。
以前、若林さんが有料でやられているnoteのコメントに質問をした際に、ご自身の経験を踏まえて回答してくださったことがある。
その内容については詳しく書けないが、かなり思い切って過去のことを告白してくださったのではないかと思い、まずはそのことが嬉しかった。
もちろん世界が違いすぎるのは分かった上で、状況やその時の感情が自分と重なりまくってそれで救われた。
そのことがあって、2月11日のこの番組の公開収録があった。
若林さんに勝手に運命を感じまくっていた時期だった。
特に自分は、憧れの人への勝手な共感で、勝手に救われて、勝手に生きている生き物だと思う。
お二人に出会ったきっかけのラジオも、お二人のことにハマっていたきっかけのエッセイも、そしてこの番組も、その要素が詰まりまくっている。
以前もnoteに書いたが、このお二人と何か番組を作りたいという思いがあって、それがどんな企画かを考えているうちに、この番組の観覧に参加してしまった。自分が考え続けた問いの答えが、自分の目の前で繰り広げられている。そのことが悔しいと思えたから、まだこの仕事を続けられている。
勝手に生き延びている。
#6 しかたなく踊る
ラスト回、それまでとは違い、お二人が未来のことを語る姿に背中を押された。
結局、未来でも何かに苛立ち、ストレスを抱えながら生きている。
そんな自分たちを想像しながら笑い、笑いながらもどんな自分たちでありたいかを心に秘めている様子がまたかっこいい。
全6回の内容を踏まえて出来上がったのが「しかたなく踊る」
「しかたなく踊る」というワードがなんとも絶妙。
左脳
テーマ曲「Mad Hope」の歌詞の中に、「左脳」というワードがある。
そもそもこの曲の歌詞が、全6回の中で出てきた内容に基づいているのかどうか確証はないが、「左脳」というワードに関してはOAの中というよりかは、#4の公開収録にいた人しかわからない内容な気がしている。(勝手な勘違いの可能性もあるが…)
この「左脳」に関連する話が、とても印象に残っている。
自分もその“症状”から脱することはできないけど、それでももがきながら生きるしかない。
しかたなく生きる
P.S.
Netflixで公開される前日から書き始めたこの記事、少しづつ書き始めていたら1ヶ月近く経ってしまった。
note1つ書く時間も確保できないほどに、日々忙しく疲弊していることに気づきがっかりしている。
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2023.09.18 作成