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テレビ屋気取り #62 感情をのっける


卒業論文の締め切りまで1ヶ月を切り、非常に焦っております。

毎週この「テレビ屋気取り」を書いているだけあって、文章を書くことには抵抗がないのでダラダラとキーボードを打ち込んでいるわけですが、結局自分が何を言いたいのかわからないままに文章を書いているので、自分で読み返しても意味がわかりません。

これは卒論を書いている今に始まったことではなくて、これまでの4年間でいくつも書いてきたレポートを作成している時にも同じ現象が起こっていました。
大学のレポート(論文)は学術論文なので、先行研究を引用したり、自分自身でデータを分析したりして、そこにある事実をもとに自らの考察(論)を書かなければいけません。
この「テレビ屋気取り」のように、ただ自分が思ったり感じたことをそのまま書いているだけでは、主張として何の根拠もありません。

自分の主観や感情をできる限り排除して書こうとしなければ、事実からは結びつかない拡大解釈が進んでしまいます。

今回はそんな”感情をのっける”かどうかという角度から思ったことを書いていきます。




気付いたら”人”に感情を持っていかれている


11月20日に行われた「佐久間宣行のオールナイトニッポン0 リスナー感謝祭2021 freedom fanfafe」を配信で見ました。

「口外禁止」という約束のもと成り立っているイベントなので、詳細について書くことはできませんが、オープニングのVTRにあることがこのイベントの全てであり、ラジオというメディア、そしてそのラジオを好きな人、もっというとエンタメを愛している人たちにとっての全てではないかと思います。

私個人は、特に偏りもなく比較的広い範囲でエンタメを摂取している人間だと自覚しています。もちろん個人の趣味なので、”好き”の度合いや熱量、具体的に言ったら毎週聴いているラジオ番組の本数などで比較までする必要はありませんが。

いろいろなものに触れようという思いはありながらも、どうしても偏りはできてしまうわけで、それは応援している芸人やタレント、アイドルなどが出ているもの、さらには尊敬しているクリエイターが手掛けたものなど、”人”で判断してしまっているというのを感じています。

特にここ最近は裏方ばかりに目を向けてしまい、クリエイターによってコンテンツを判断してしまっているのを強く実感しています。
ただ、別にこれが悪いことではないと思っています。
ずっとこの世界に憧れ続けてきた身なので、どうしても裏方に目が行くのは仕方ないことだし、勉強のためにもクリエイターの作る作品や言動はチェックしなければならないと感じています。

別に疑いたいわけではありませんが、毎週のラジオも今回のイベントも、「佐久間さんだから…」という信頼感というか「これは絶対におもしろいんだ」みたいな自分の中の感情がのっかった状態でコンテンツに触れているので、自分は純粋にコンテンツを楽しめているのかがわからなくなってしまいます。


なんでこんなことを思ったのか。
最初に書いた卒論を書いている中で…というのもありますが、先日放送された「バチくるオードリー」を見ていて、いろいろと思うところがあったからです。


オードリーが「やってみたらバチーンと来そう!」と思う企画をやってみる実験バラエティー

こういう企画趣旨のもと、今回は「ピュア芸人が作詞した曲をプロのミュージシャンが歌ったらバチーンとくる!?」という内容の企画が行われました。

予告映像から号泣する若林さんの様子が映し出されていたので、放送の中の1番の見せ所はここなんだろうなというのは明らかでしたが、やっぱり本編を見ていてもここが1番の面白いところなのかなと思いました。

オードリーファンからしても、若林さんが号泣するというのは珍しいことだし、でも毎週ラジオを聴いていれば自身も語るような“おじさん化”が進んでいるからこそ、こういう場面で泣くのもなんとなく想像がつくという、その両方で笑えるのがこの番組の面白さではないかと考えました。

若林さんが号泣して春日さんが意外にも大回しをする。
制作サイドがどこまでこれを想定してこの企画とTAIGAさん・酒井さんのキャスティングをしたのかがとても気になります。
若林さんが号泣するところまで想定していたのならそれはそれで引いてしまうので、ずっとそれが気にかかって、素直に観れませんでした。

もちろんバラエティとしてこのパッケージが面白いことはわかりますが、若林さんを尊敬するひとりの人間として、さらにはTAIGAさんや酒井さんの歌詞に純粋に心を打たれたひとりの人間として、収録現場のフロアで大爆笑している制作陣のようには素直に笑えませんでした。

”人”じゃなくてちゃんと番組を見るべきだと感じた瞬間でした。



1年前の自分を見ているかのよう


「Matcher」という就活におけるOB訪問に使われるサービスを通じて、1つ下の代の就活生と交流する機会があるのですが、そこで先日、先に取り上げた佐久間宣行さんのことが好きで、この人の影響でテレビの世界を目指しているという学生に出会いました。

企画案を見せてもらったりしましたが、考えていることがまさに1年前の自分にそっくりで、テレビが好きそうな人に刺さるような少しマニアック要素も強めの企画でした。

1年前の自分が壁にぶち当たったのは、そういう自分が考えた企画は本当に視聴者が求めているものなのか、ということです。

テレビ局が求める優秀な人材は、ただ自分が見たいものを考えるだけでなく、自分が面白いと思うものが果たして世間では受け入れられるのかと、客観的な視点を持ち合わせている人だと思います。

私も薄々そのことに気付いてはいましたが、自分を貫くのと客観性を大事にする間で揺れ動き続けた結果、見事にテレビ局を全敗しました。



まずは感情がのっかっていてもいいのではないか


佐久間さんがいろいろなインタビューで語っているのは、「自分が見たいと思うものを作っている」ということです。もちろんあれくらいの人になると、こう言いながらいろいろなことを考慮してコンテンツを発信しているわけですが、企画の原点や制作の原動力となっているのは、おそらく自分の”見たい”や”面白そう”という感情ではないでしょうか。

だったら、こんな私のような素人があれこれ悩まずに、まずは自分が見たいものややりたい企画をとことん追求していくことが大切ではないかと考えるようになりました。

以前、企画を考えてアウトプットするのを頑張るとここで言いながら、卒論に追われていてなかなか進んでいないのが現状です。

卒論を提出し終えたら、年末にかかってたくさん放送される特番を見ながら、自分なりの企画をたくさんアウトプットしていこうと思います。

もちろん感情をのっけて。


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2021.11.21 作成

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