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私の体力がペットボトルのフタに満たされた水割りだとしたら
子供達と接しているとつくづく体力の差を感じる。
私の体力がペットボトルのフタに満たされた水割りだとしたら、子等の体力は樽いっぱいに満たされたシングルモルトウイスキーだ。
休日は昼が過ぎる頃には私の体力は限りなくゼロに近い。あとは気力で動いている。子供と接すると元気をもらうというのは、あくまでメタフォリカルな表現だろう。
体感としては、抱っこやおんぶ、追いかけっこをする度に、まるで子らに生命エネルギーを吸われているような感覚だ。子泣き爺に取り憑かれた哀れな旅人のように。
私だって子供の頃はパズルゲームを12時間ぶっ続けでプレイする集中力もあったし、高校生にもなれば種子島を歩いて一周してやろうというバイタリティもあった。上京したての頃は夜勤のバイトを終えてライブもやったし、そのまま一晩騒いで朝日を迎えたこともあった。
あの青々と輝く私の生命エネルギーはどこへ行ってしまったのか。
エネルギー保存の法則によれば、私の青春の輝きは形を変えてこの地球の何処かに存在している。それはイグアスの滝にかかった虹の断片かもしれないし、部屋の雑誌のページをめくった風かもしれない。
この世界はエネルギーに満ち溢れている。
それを受け取るか受け取らないかは私自身に委ねられている。
最後に bjork の楽曲「All is full of love」の歌詞を引用する。
"All is full of love You just ain't receiving."
全ては愛で満たされている。あなたが受け取ろうとしていないだけ。
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