抱っこひもで抱かれる赤ちゃんを見て、なんだか目頭が熱くなる現象の名を僕はまだ知らない。
現在、長男7歳、次男5歳、いわゆる育児もいよいよ終盤に差し掛かった今日この頃。
小田急線の駅のホームで電車を待っていると、隣に立っていた女性に抱っこひもで抱かれている赤ちゃんと目が合った。ビー玉のように輝く瞳。真っ赤なほっぺ。むちむちの足。心の中をいろんな思いが駆け巡ってなんだか目頭が熱くなった。
抱っこひもは両手が空いて便利だが、背中に負荷がかかりやすい。慢性的な背中の強張りは今もまだ続いている。また、暑い季節は胸元が子の汗や涎や涙や鼻水だらけになるのでタオルやガーゼは2.3枚は必須だ。スタイだけでは受け止めきれない。
長男が2歳、次男が0歳の頃、妻が長男を家で寝かしつけ、私が次男を抱っこひもで外を歩いて寝かしつけていた頃もあった。
風通しの良い川沿いの道。次男のむちむちの足を触りながら歩く。殆ど独り言のように次男に話しかける。小田急線が近くを走っていて、カタンコトンと立てるリズムに合わせて抱っこひもを揺らした。
私が子を抱っこしている時、思い返せばほとんど抱っこひもをつけていた。
そういえば最後に抱っこひもを使ったのはいつだろう。私はもう思い出すことができない。
赤ちゃんの頃って本当に一瞬だ。永遠にも思えた抱っこの時間。抱いても揺らしても泣き止まない時の苛立ち、眠気、背中の痛み、無力感。
赤ちゃんがあんなに泣くのは、背中があんなに痛むのは、親が子を抱っこしていた時のことを忘れさせないためかもしれない。
今はもう子供も大きくなったので、車からソファへ、ソファからベッドに運ぶくらいの機会しか残されていない。
いくら抱っこしたところで足りるということはないだろう。あとどれだけの間この子たちと過ごすことができるのかと数えることと同じように。
抱っこひもで抱かれる赤ちゃんを見て、なんだか目頭が熱くなる現象の名を僕はまだ知らない。