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誹謗中傷コメントを繰り返す人と依存症の関連性


このポストを見て、SNSとかコメントコンテンツをよく見るようになって感じていたことを書こうと思いました。
 Xに書こうかなとも思ったけど、長文になりそうだったので、noteにしました。

 私は、依存症とかかわりのある界隈で働いているもので、私が見ている範囲内でのSNSとコメントコンテンツの中で思っていたことを、たらればさんのポストに共感したので文章にしてみようと思いました。

特にSNSやコメントコンテンツで誹謗中傷を繰り返しおこなっている人について。

依存症について

 まず、依存症については

 ポストに書いてある、この動画や松本俊彦先生で検索することで分かりやすい説明を聞けると思います。本もたくさん出されているので、本がよい人はそちらもぜひ読まれてみるといいと思います。
 依存症については、どんな人でも可能性があることだと思っておくことが大切で、正しい知識を持っておくことで、自分も他人も守ることができると思います。
 そして、大事なことは説明を聞いたり、本を読むとわかることですが、誰もが自分に当てはまることがあると思います。

SNS・コメントコンテンツ

 今回、私が書こうと思った理由として、SNSやYouTubeなどのコメントコンテンツにおいて、誹謗中傷や否定するコメントをよく見かけるようになったことがあります。
 昔から、おそらくあったのだと思います。そして、調べるとそういうコメントを繰り返す人たちのやり方もよく知られているようです。
 私は、ネットの海にあまり近寄っていなかったので、ニュースでSNSで誹謗中傷によって起こっている悲しいことを知る程度でした。
 縁あって、いろんな界隈に興味がわき、SNSやコメントコンテンツをよくみるようになって、あれほど問題になっている誹謗中傷にあたいするポストがたくさんおすすめに流れてきたり、いろんなところに書かれているのを目にして、とても驚いたし、こういうポストをする人たちは一体どういう人なんだろうと思いました。
 最近、誹謗中傷のポストやコメントを繰り返す人について、いろんな団体で裁判となっており、どのような人がそういうことをしているのか公開されています。

 そのなかで、誹謗中傷を繰り返す人達は、さまざまな依存症を抱えている人の特徴ととても似ていると感じました。
 そして、SNSやコメントコンテンツ特有の問題もあると思いました。

誰かわからないということと承認欲求

 批判的なコメントをしている人のアカウントをXでもコメントコンテンツでも見れることで、興味本位で見てみました。

 すると、

  1.   ポストをすべて消してある

  2.   批判と愚痴ばっかり

  3.  どこかのコンビニなどのリツイートキャンペーンばっかり  

こういったアカウントが多かったように思います。

また、こういう誹謗中傷ポストやコメントにいいねをする人達もいました。
そういう人たちは、ただ、誰かれでもたたきたい、という人がある一定数いて、便乗していいねしたり、コメントしているということも後から知りました。

SNS・コメントコンテンツで誹謗中傷が減らない理由


 SNSやコメントコンテンツでこうした誹謗中傷が減らないのは、無料で努力しなくても承認欲求が満たされるということが原因にあると思います。

 特に、普段、日常生活で自分のことを見られていないと感じている存在感がないと思っている人にとっては、誹謗中傷のような過激なものを書くことで誰かの目に留まる、そして、同じような人からいいねをもらえるという体験をすることで自分の存在意義を得られるという体験をすることをすることになると考えられます。

 そして、日常が不満が多い、これまで自分を認める経験がなかった人ほど、それを成功体験ととらえ、のめり込んでいくのだと思います。

 いろんなところを拠り所にすること自体は、なんの問題もないのですが、人に危害を与える形でその拠り所を求めることは当然認められません。
 誹謗中傷することで自分の存在意義を求めている人はおそらく自分が人に危害を加えている意識はなく、そうした行動をしていることを正当化しているはずです。
 いわゆる〇〇警察というふうに言われているように自分を考えているということです。
 一日に何時間も取り憑かれたように誹謗中傷することだけを考えている。そうでないと生きていけなくなっている人がいるのだと思います。

 他の物質や行動の依存と少し違うのは、お金がかからず、手軽にできてしまうということとXやコメントコンテンツで誹謗中傷書いている人は、自分が書いたものを改めてみるということはおそらくなく、いいねや返信の通知を見ているだけということが考えられます。
 その証拠にアカウントをたどってみると何も投稿してないというアカウントや誹謗中傷ポストを消していて、個人の特定をおそらく避けているのかもしれません。けど、流れてくるんだなぁおすすめに。

 現在、誹謗中傷をおこなっているアカウントから個人を特定することができ、裁判を起こされるということはかなり認知されていることだと思います。

 しかも、誹謗中傷をどういう人がおこなっているのかやそういう人への対応について認知されているため、多くの人はその人の意見を見ないよう避けている。そして、誹謗中傷に当たるようなコメントをしている人をブロックしている。そのため、そのコメントを書いているアカウントの人は積極的に存在していないとされていることが多いと思います。

日常生活におき変えて想像してみると


 SNSやコメントコンテンツだからわからないのかもしれないけど、日常生活で通りすがりの他人から突然誹謗中傷されたとき、どんなふうに思うだろうか、どんな行動を取るだろうか。
 もしかすると、警察に通報される可能性すらあるだろう。

そんな行動をしないと生きていけないと思っている人がいるということです。

自分のアカウントは自分の鏡

 自分が持っているいろんなアカウントのポストやコメントを改めて見てもらうと、自分が日頃何を考えているのか、どういうふうに生きているのかかなりわかると思います。

 Xにポストしたり、何かにコメントするとき、自分の中にある一部分をそこに表現している筈です。そのある一部分は氷山の一角で土台があってそこに表現されている。
 という事は、誹謗中傷したり、批判したりしている人の氷山は。それらを消してるアカウントの人は空っぽってこと?。とも見れる。

誹謗中傷したり批判することに執着している人へ


 誹謗中傷したり、批判したりすることに執着している人、
残念ながら、もう構ってもらえなくなってることに気づこうね。
そして、それをしても、あなたの日常の問題は何も解決しないよ。

 おそらく、それ以外のお酒やカフェインなど物質的なものも合わせて依存している可能性もあるのではないですか。
 多分、睡眠や食生活もおそらく乱れているのではないでしょうか。

だから、ぜひ、精神科や心の相談室などへ連絡してください
あなたたちが救いを求めるのは、誹謗中傷する行動ではない。方法を間違っちゃったね。
そして、お金に困っていたり、家や学校、職場で居場所がなかったり、困っている時は、それぞれ相談できる場所があるから調べるところからしてみよう。
 誹謗中傷のコメントをネットでできる人はそれを検索するのは簡単なお仕事だ。
専門的な知識を持った人があなたに合わせて話を聞いてくれてどうしたらいいか一緒に考えてくれる筈です。

この投稿を偶然見た人へ

 もうすでに、誹謗中傷に値するコメントへの対処をおこなっている人は多いと思います。なので対処方法は書きませんが、自分がもし、誰かを批判したくなったり、そういうことを書きたくなった時は自分が何か助けを求めていると思うといいと思います。
 そういう時は、もう自分がこれ以上一人で頑張るターンは終わっています。
休むこと助けを求めることを躊躇せず、言えそうなところに言ってみましょう。
 弱音もどんどん吐いて大丈夫!

体のこと、生活環境のこと、学校や職場のことどれをとっても自分にとって難しいと感じる場面は誰にもたくさんあります。
そのなかで、生きていくために何かを糧にすることや拠り所にすることを考えたり、行動すること自体は自然なことで、多くあればあるほどいいと思います。

 しかし、ある一つのことだけに占領された毎日を送っていると、あなたは心身のバランスもこれまで培ってきた人間関係も崩れてしまうかもしれません。そうなる可能性は、人間であればみんなあると思っておくことが必要です。

自分の人生を何かに支配される前に
 コントロール出来なくなる前に
 自分が日常でどんなことを考えているかどういう行動をしているか見直してもいいかもしてません。

自分が残りの人生をどう生きたいのか
 そのためには、助けを求めることも忘れずに。

いち、依存症に関わる界隈で働いている者からのお願いです。

長文駄文失礼しました。

















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