「挑戦しなければ死んでしまう」
さださん明日空いてますか?と連絡をもらって20歳になったまさしさんとお酒を呑みに行った。
金銭を持たずに九州を一週したりお金がなくて草を食べたり、幽霊を見るために一人で廃墟に泊まってみたり、鳥人間コンテストをダンボールでやろとしてたり、かなりぶっとんでいる。
20歳になってまわりが大人になっていくことにどうやら揺れているようだ。
彼が伝えたいのはただひとつで、挑戦しなければ死んでしまう、たとえ安定して物的に長らえたとしても。ということのようで、それを伝える手段としてYouTuberという道に進もうとしている。
しかしそんな彼をまわりの同級生や大人は叩く。
おまえには無理だよ
どうしてほっとけないんだろう、と思う、
応援してくれなくていい。認めてくれなくていい。
ただほっといてくれたらそれでいい。
いいと思ってくれたならたまに見てくれたらいい。
というのはわたしの勝手な意見なのだけれど、あなたにもひょっとしたらあったのでは?とたまに問いたくなる。我慢するのか挑戦するのか、の分岐点が。揺れた時が。
そうして自分が諦めてしまったそれをやってる人間が現れた時に、あきらめたはずのそれを揺らされるのがいやなんじゃないの?と。
もしそうなら、応援もできずほっとくこともできないなら、目障りだからやめてくれと言えばいい。
そうしてぶつかるしか話ができないではないか
そうしないとなにもわからないじゃないか
あなたのためになんて言われたらもう。、
-俺の『挑戦』には原点があるんです。
彼は少し気恥ずかしそうにそう言ってまた話し始めた。
中学生の時のマドンナ(アメリカと日本のハーフ)的存在に、クラスの男どもがアプローチをしては撃沈していくなか彼は自分は違う方法でいきたいととにかく話しかけまくったという。そして告白をした。
バレンタインの前日でそれは彼にとってのはじめての挑戦だったらしい。
結局ふられてしまったらしいが、この話には続きがあった。
翌日のバレンタインにその女の子は彼にだけチョコレート渡したそうな。
その時俺は挑戦していこうと思ったんです。
彼はそう言った。
うまくいかなくても目的が達成できずとも挑戦する事でなにか生まれるものがある。失敗が失敗じゃなかった。彼はそれを身を持って知ってるから強いんだろうな、と思った。
おじさんになりかけてたわたしの心を揺らしてくれた。
おじさんはもっと若者と関わった方がいいかもしれない。
これは本をいくら読んでもどれだけGoogle検索をしても得られないことだろうなぁなどと。
生身の人間が動いてるってのはものすごい質量を持って訴えかけてくる。
来月の鳥人間コンテストダンボールverにわたしも参加させてもらうことになった。
まさしさんのYoutuberとしてのはじめての挑戦になるかもしれない
楽しみだ