ただ救われたくて記憶の糸を辿るように
わからないから言葉にしようとしたんだ
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最近、歌もnoteも書けない
いや書いている。
書いては消して
作っては捨てる
自分が読んで聴いて
なにも感じない。
なんの心の動きもない。
文字の記号の羅列だ。
いつからだろう
頭の中でこねくり回すようになったのは。
いつからだろう
いいものを作りたいとか思うようになったのは。
こんなの何の意味もない。全部ゴミだ。
いっくんという人間に会った
ノギタが連れてきた
彼に会うのは3回目だった。
初めてはカタリ場説明会。泣いた
2回目はメシ部。人と話せなかった。
noteとか文章の話になって
いっくんも文章を書く事を知った。
でも、彼は投稿はしないみたい
忘れないようにただWordに残していると。
昔SNSに思ったことを書いたら
心ないことを言われたらしい。
でも発信したいと思っている?っぽい。
僕は彼の書く文章が読みたいと思った
俺は読みたいけどねー
僕がそう言うと彼はパソコンを取り出して
落ち込んでた時に書いたというひとつの文章を見せてくれた。
丸っぽくかわいい書体に中央寄せで書かれていた。
『決断』と『覚悟』
初めは苦しんでるんだけど、
最後には前向きになっている。
とても真っ直ぐで気持ちのいい文章だった。
僕はひとつ気になった事を質問した
これは自分の中で解決したものを書いてるの?
それとも書いてるうちに前向きになるの?
後者だった。
こう、思ったことばばばぁって書いて、最後はすごくスッキリするんだよねぇ
僕は忘れものを思い出した。
初めて文章を書きたいと思って書いたのは
心理学の本を読み漁ってた時だった
紙に書くといい
書き始めはなにもでてこなかった。
でも、ペン持って紙に向き合ってたら、
少しずつ少しずつ出てきた。
書いてると熱くなったり
死にたいから始まった文章が
最後には救われてたり。
ただただ苦しくて救われたくて書いた。
記憶の糸を辿るように、書いてたら
言葉がでてきた。
その時のノートは今読み返しても心が動く。
そうだ、ただわからないから書いていた
ただただ知りたいから書いていた
真暗闇の中で光を探すように。
そこから出ていたものは、本物だった。
少なくとも僕にとっては。
今、初めてもらった歌制作の依頼も
友達が書いた歌への音づけも
できないでいる。
頭の中で完成を探さなくていい
下手くそでもきれいじゃなくてもいい
とりあえず外にだす。
多分、
こねくり回すようになったのは
少人数でも読んでくれる人
聴いてくれる人ができたからだ。
ほんの少しでも
救われた、涙が出たって
言ってくれた人がいたからだ。
だから、
これは僕の中で後退ではなく進歩だ
でも、
自分を救うものだけがギリギリ他者を救いえるものになり得る。そんな気がする。
知らんけど
サンクスいっくん。