オタクは人の心がわからない
オタクは人の心がわからない。
小学生のころ、パソコンを買ってもらった。
Z80のマシン語を学ぶには、人の心がわからなくてもまったく問題なかった。むしろ友達と遊ばないほうが、プログラミングがはかどる。
中学生になり、女の子に興味を持ち出した。話してみると、何を考えているのか、まったくわからない。
あるとき、女の子といい雰囲気になって、「キスしていい?」と聞いた。返り値はイエスかノーの二択だと思っていたオタクはビビッた。女の子は、「なんでそんなこと聞くの?」と怒り出したからだ。
オタクはコンピュータをやめた。
そのかわりギターを買って、バンドをはじめて、KPI*を「モテ」に切り替えた。なぜあの質問で怒ったのかはわからないままだったが、何人かの女の子と接していくなかで、なにをすると、どうなる、という経験値は積み重ねることができた。*Key Performance Indicator
しかし、どんなに努力をしても、体育ができるヤンキー的なひとたちにはビタイチ勝てないのである。彼らは、人間の感情について「感じる」ことができる。だれかが悲しんでいたら、横でいっしょに悲しむことができるのだ(これはモテる)。
オタクは「感じる」才能が乏しいので、いちいち論理で考える必要がある。こういう事象なら、きっとこれくらい悲しいのではないか→ならば、なぐさめるべきではないか、と(結果、余計なことを言ってしまうことも多々ある。これはモテない)。
大人になって仕事をするようになったオタクは気がついた。ずっと考えてきた「女の子ってなにを考えてるんだろう」という問いは、つまり「人間とはなにか?」という問いだったのではないか。実際、男も女も、やさしくされればうれしいし、冷たくされたら悲しい。それほど大きなちがいはない。
この問いを抱えてきたことは、仕事には役立った気がする。コンテンツをつくるというのは、人間の感情を、言語などで形にして、作品に仕上げるということだからだ。メジャーな感情や物語については、知見を積み重ねやすいから、ある程度は、定式化できる。
しかし、そうやって後天的に学んだ知識は、現実社会では、すぐにボロが出る。実際の人間関係は、もっと繊細な事象に満ちているし、ゆるやかなバランスの上にある。ややこしいことを書いたけど、要するに、すぐだれかを悲しませたり怒らせたりしてしまう、ということだ。
いま、オタクたち(の一部)が人工知能に熱狂している。これは、ぼくはちょっとわかる気がするのである。なぜかというと、コンピュータが、いままでの得意分野だった「論理」という枠を超えて、「感情」にアプローチできる可能性を感じるからだ。
冒頭のオタクも例外ではなく、そういう可能性を感じているという話がある(Welq文体)。
ということでピースオブケイクでは、エンジニアとCEOによる、数学勉強会をはじめることにした。毎週、プロの講師を呼んで、数学を学ぶのである。まずは、Deep Leaningをちゃんと理解したいということで、今週はこの本を読んでいた。
オタクのみなさん。ピースオブケイクで数学を勉強して、人工知能を極めるとモテるかもしれませんよ。
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