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#2 幼少期

普通の家に産まれたと思う。

父は自営業、当時はバブルの恩恵で忙しく

あまり家にいた記憶がない。

出張から帰ってきて、上機嫌に酒を飲んでる姿の記憶が多い。

それでも、夏休みの間はプールに連れて行ってくれたり

母の田舎に帰省するときは、高速道路を何時間も1人で運転し続けてくれた。

酒好きで人付き合いが良く、色んな人と交流を持っていた。

だが、お酒を飲んでいない時に家にいる間は、ムスッとしていて

どちらかと言うと厳格。

所謂昭和の男。団塊の世代ど真ん中の人だ。


母は専業主婦。

地方の出身で、就職で上京してきた人。

裁縫が得意で、幼いころは母が作った服をよく着ていた。

でもそれは、今思っても割とおしゃれで

当時の子供服屋には売っていないだろう、ちょっとセンスの良い服だった。

その他にもポーチやかばん、学校で必要になるものの類は大体母の手作りだった。

ミシンで縫ったり、生地を買いに行ったり、

キラキラのボタンがたくさん入った缶の中からボタンを選んだり


母本人は得意じゃないと言っていたが

料理も下手と思った記憶がない。

The昭和の男の父が家にいる時は

父好みの和食や魚が中心のごはんだったけど

父が出張でいない時はハンバーグやグラタン、スパゲティとかの

子供向けのメニューにしてくれたり

休みの日には、おやつに一緒にドーナツを作ったり

ごくたまに、パンを焼いてくれたこともあった。

キッチンに広がる焼きたてのパンの匂い

ほんのり甘くておいしいパンが大好きだった。

家は中古の一戸建て、広かったが整理整頓され

母は掃除もこまめにしていて、汚かった記憶はない。

専業主婦として、完璧だったと思う。


こうやって書くと特に何も、むしろ幸せそうな家族に見える。

書きながら記憶を辿ると、思いのほか平凡で、だけど幸せな子供時代の記憶があることに、自分でも少し驚いた。

焼きたてのパンの匂いなんか、今でも鮮明に思い出せるのに

思い出したのはここ10年で今日が初めてだ。


私が幼いころの記憶として最初に思い出すもの。


それはジグソーパズル。

夕焼けから、ゆっくりと暗くなっていく部屋の中で

夢中になってジグソーパズルを組み立てていたこと。


私には妹がいる。

2歳下の妹は幼いころ、とても体が弱く

基本的には毎週のように通院

調子が悪くなると入院。


自分の娘が入院してるとなれば、母はそれは心配な日々を過ごしていたことだろう。

父は仕事が忙しく基本的には家にいない。

また、地方出身で自分の母親(私からみると祖母)にも手伝ってもらうことはできない。

父方の祖母は、くも膜下出血で寝たきり。

そう、母は専業主婦をしながら父の母の介護をし、体の弱い妹の入院に付き添っていたのだ。


その結果、私はと言うとジグソーパズルだ。

当時…まだ幼稚園の年長さんくらいだったか、小学校に上がっていたかうろ覚えだが

妹の病院に母は出かけ、私は家で1人ジグソーパズルでお留守番するのだ。

幼すぎて電気をつけるタイミングもよくわからず

ジグゾーパズルに夢中になっていたら、気付くと夜のような暗さの中

部屋で1人ぽっちでパズルをしていた。


この記憶は、今でも幼いころを思い出す時に1番に思い出す。

でも私は当時泣いてぐずったりした記憶もなく

母に駄々を捏ねて我儘を言った記憶がない。

父や母から、繰り返し、ずっと言われて育った。


「お姉ちゃんだから我慢してね」

「お姉ちゃんだから言うこと聞いてね」

「お姉ちゃんなんだから」


子供時代の記憶で、色んなことで叱られた記憶はあるが

何で叱られたはよく覚えていない。

でも「お姉ちゃんだから」

この言葉は何十回、何百回と聞いた記憶がある。

妹とケンカをして、妹の方が悪くても

「お姉ちゃんなんだから。」


もちろん子供だから、当時は思っていた。

なんでお姉ちゃんだからって私ばっかり。

お姉ちゃんに産まれたくてお姉ちゃんになった訳じゃない。

お姉ちゃんだからお留守番も当たり前、ケンカしても悪いのはお姉ちゃん。

お姉ちゃんになんかなりたくなかった。


でもそれを母や父に言葉でぶつけたことはあまりない。

父はそもそも家にほとんどいなかったし

母も妹に付きっきりで、私にかまう暇はあまりなかった。

「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われた幼い私は

犬のように待て、とされている状態で

でも永遠に「よし!」と言われることはなく

いつになったら我慢しなくていい時が来るのかわからず

我慢できなくなった時は寝たきりで意識があるかもわからない祖母の部屋に行き

返事のない祖母に向かって愚痴をこぼしたり

祖母の手を握ってみたり

祖母の部屋で1人で遊んで過ごしたりしていた。


幼稚園から小学校低学年の記憶は、それ以外にはあまりない。

ヤマハの音楽教室に通ってオルガンやピアノを弾いたり

近所の空き地で1人で遊んだり

誕生日に買ってもらったリカちゃん人形で遊んだりした記憶もあるけど

両親に遊んでもらったり、甘やかされたり、かまってもらった記憶はあまりない。

忙しそうに家事をしている母の後ろ姿や

母が好きで聞いていた音楽ばかり思い出す。

松任谷由実やカーペンターズ、ビートルズ、ビリージョエル。

今にして思うと母はとてもセンスのある人だったのかもしれない。

いい音楽を教えてくれて、聞かせてくれたことには今も感謝している。


私の幼いころの記憶は、

暗くなっていく部屋とジグゾーパズル

そして寝たきりの祖母のシワシワの手。

母親の後ろ姿と、カーペンターズ。

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