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#3 子供の居場所

前記事の幼少期の続きです。


大きくなるにつれて、妹は少しずつ体が丈夫になり入院することはなくなっていった。

私は一人ぼっちでお留守番することもなくなってきたがその分今度は常に妹がいた。

家で遊ぶときは当たり前なんだけど、いつもいるから

大好きだったジグゾーパズルはいつも邪魔が入り、1人でコツコツと、黙々とできず、

ピースをぶちまけられて、なくしてしまったり、気付いたらやめてしまった。

パズルが完成した時に両親がほめてくれたからやってたのかもしれない。

ピースがなくて完成しないパズルでは 

両親にほめてもらえないから、やめたのかもしれない。


2歳しか歳の離れない同性の妹とは、何かにつけてライバル心をお互いに燃やし

常に些細なことで競い合っていた気がする。

そして、年下で体の弱い妹は母親にべったりで

子供心に悔しかったのだろう、私も何かと母親にほめてもらおうと

とにかく「お姉ちゃんだから、良い子でいる」ことをし続けた。

親戚や人の集まるところではお行儀を良くする

家のことを手伝う

学校の授業では手を上げる

誕生日プレゼントを買ってもらう時は、自分が欲しいものではなく、母親が提示した選択肢の中から選ぶ

ある年、妹が誕生日プレゼントにローラースケートを買ってもらったことがあった。

親はローラースケートを欲しいと言う妹に、怪我をしそうだから、と難色を示したが、妹は絶対これがいい!と我儘を通し買ってもらっていた。

私は羨ましくて、妹に借りたり、妹がいない時にこっそり使ったりしていた。

ローラースケートはすごく楽しかった。

でも親の前ではそんなこと一言も言わなかった。


今こうやって書き綴っていてようやく思う。

私の小学生までの自己形成は全て

「お姉ちゃんなんだから我慢する」で出来ていて

いつまで我慢すればいいのかも分からず

我慢しても特に何にもならず

自分のしたいこと、欲しいことを素直に言えず

それを聞いてもらうことも出来ず

良い子の振りをするだけの子供だったのだと。



小学校6年生になる少し前に、寝たきりの祖母が亡くなった。

その時、何故か置いていかれた、という気持ちになった。

おばあちゃんもいなくなってしまった…と思った。

いつも意識があるかもわからず

目を見て話しかけると、ごく稀に目が合って

うー、とか、あー、とか声を聞くくらい。

それでも、

家にいない父、妹にかかりきりで忙しい母、ケンカばかりの妹の、家族の中の誰よりも

私が話しかけると1番反応してくれて

生理現象なのかもしれないけど、たまに泣いていた。


家族の中で一人ぼっちの私にとって、寝たきりの祖母は心の拠り所だった。

お葬式の時は、わんわん泣いた。

火葬場で焼けて骨になった祖母を見てまた泣いた。

納骨も済んで、祖母のいなくなった部屋は

介護用のベッドもなくなり、がらんとした部屋になった。

仏壇に遺影と位牌が並ぶだけになった部屋で

祖母に話しかけたり、手を握ることが出来なくなった代わりに、私はお線香を炊いて過ごした。

こうして、家族の中で、唯一の居場所もなくなってしまった。

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