アイマスにおける担当という考え方に分かり合えなさを感じている件
私は昔からアイマスが好きだ。
今もなお新たなコンテンツが供給されていることにも喜びを感じるし、これからも好きで居続けると思う。
しかし、私は一つ懸念事項を抱えている。
アイマスファンと反りが合わないのだ。
理由は明快で、私が担当という言葉に拒否感を覚えるからである。
こりゃ厄介なオタクが騒ぎ出したなぁと思うかもしれないが少し待って欲しい。
元来アイドルマスターってのは、アイドルのマスター気分を味わうためのゲームであり、私はプロデューサーという立場である。
会社からも、全体を見て指針を定めることを仕事として任されている。
そんな中でアイドル一人一人としっかり向き合って、戦略を練り芸能界を勝ち上がろうとするのが、使命であると感じている。
そのうえで担当というのはどういうことなのだろうか。
私は少なくともアイドルマスターという作品をプレイするうえで特定の一人を贔屓してPRしたいという思いに駆られたことはない。
プロデューサーという任をうけた者に許される行いでも無いと思う。
誤解しないでほしいが、私は特定のキャラが特に好きという気持ちになったことがないというわけではない。
消費者として、すきだなと思うキャラクターも存在している。
しかし、それを担当と表現するのはあまり快く思わないのだ。
「○○推しです。」と、プロデューサーとしての自分とは乖離させた己として表現するのは大肯定したいところだが、プロデューサーとしての自分のまま「○○担当です」と言われてしまうとドロリとした気分が芽生えてしまう。
以上、厄介オタクの書き散らしおわり。