幼い頃、祖父の自転車の後ろに乗ってあちこちを巡って時間を潰すのが楽しみだった。 母は自宅の隣の建物でピアノ教室を開いており、すぐ近くにはいたものの、いわゆる共働きの両親のもとで育った。兄とは7つ離れており、私が生まれた時には小学1年生だ。幼稚園バスから降りて母から迎え入れられた私は、母の生徒さんが通ってくる頃には祖父に預けられた。 祖父は魚屋さんをしていた。戦後の闇市から行商を始めた人で、その後は地元の漁港で仕入れた魚を中央市場に卸すようになり、そのうちお店を構えた人だった。
気がつけば今年も1か月が過ぎようとしている。早いものだ。 月並みな表現だが、1年の1/12が過ぎ、あの大きな揺れからも1か月。 1月1日はここ2年ほどは寝正月を決め込んでいる。この仕事を始めてからは、ありがたいことに年末が最大の繁忙期ということで、31日まで思いっきり働かせてもらうのが恒例だ。1日にいかに気持ちよくダラけることができるか、をテーマに、31日の終業まで体力を使い果たすことに集中して追い込むことを楽しんでいる。 2023年12月の振り返り 2023年は仕事の
転職や副業が以前よりもライトに語られるようになり、大人になったからといって働く場所だけをフィールドとすることは少なくなった。社会人学生としての学び直しなども市民権を得つつあるいま、社会で生きるみんなは自らの活動のフィールドをどんなふうに整理しているだろうか。活動のカテゴリーや学びのディシプリンを明確に定義している人もいるだろうし、定義の途中にいる人もいるだろう。私はというと、定義の途中にもないというか、活動のフィールドはこれからの長い人生で広がり続ける気がしているし、ディシプ
普段は魚屋をしている私だが、少しばかり学びを齧り始めた分野との関連で、2022年夏ごろから色彩検定の勉強を開始して、2023年1月に1級に合格した。級で合否が出るタイプの?民間の?検定?みたいなものは高校時代の英検以来、誰でも受けられる開かれた試験というのは大学時代のTOEIC以来だった。久しぶりの試験になんだかとってもワクワクしつつ、どれくらい勉強して何点くらい出るものなのだろう?と見当もつかず、フワフワした想像を楽しんだ受験勉強だった。大人になって検定というものを受けるな
今月の下旬からお店を休業することにした。というのも、私の人生における「魚屋の後」の準備のため。自営業、とりわけ家族経営に毛が生えた程度の規模でやっている小さなお店だから決断できたことで、社長特権を行使させてもらった形だ。考える時間、が今どうしても必要だった。 自営業の人やお店をやっている人って、「このお店を一生やっていくんだろう」「これを一生の仕事にすると覚悟を決めてやっているのだろう」と周囲から認識されることが多いのではないだろうか。このあたりが世に存在する企業に就職して
大学卒業後、または首都圏での就職後に生まれ育った場所にUターンした人や、それまでは縁がなかった場所に移住した人って一部いますよね。その理由は様々で。「どうしても帰ってくるように言われた」とか「帰ってくることが条件の県外進学だった」とか地方特有の保守的な理由からのUターンもあれば、「親が病気になって」などやむを得ない事情からのUターンもあるでしょう。もちろん、「家業を継ごうと思った」または縁のなかった場所であっても「地方でやりたい仕事が見つかった」など自分で決めた人も多いはず。
これまで、昔からその土地で生産され地域の人々に愛されてきた野菜や魚などが、生産者や流通業者、行政の努力により地域外へ発信されてきた。地域内でのみ消費されていたものの魅力が地域外の人々に伝わり、首都圏のいわゆる高級店で扱われることが増えた産品もあるだろう。それにより需要が高まり、価格が上昇することで、収入が増加した生産者もいるはずだ。 いわゆる「ブランド化」が目指される流れが大きくなった。 2004年には中小企業庁が、地域の特性を生かした製品の魅力を高め全国あるいは世界で高い
私が魚屋をやっていて感じるメリットついて、現段階での一定の答えを。 . 地方の産地の魚屋の仕事は何か? 平たい言い方をすると、港で水揚げされた魚をお金を出して仕入れて、付加価値をつけて仕入れた金額よりも高い金額で売ることだろう。 この単純さが、私が生まれた家の魚屋を継いだ理由の1つだった。 . この仕事の居場所はサプライチェーンの最上流、経済活動の始まり。値段がつく前の生産物が競りにかけられ、初めて値段がつき、ここから取引が始まる。この地方の市場で値段がついて、そこから我
学ぶことの目的は何か? 今の私の生活圏では、学ぶこと、とりわけ大学という研究機関での学びについて誤解されているように思うことがある。誤解されているというと、私の考えが正しく他人の考えが間違っている、というように捉えられかねず語弊があるけれど。なんかなぁ、そうじゃないんだよなぁ、と思う点について、言葉にしてみよう。 大学院を出て27歳で地元に戻って魚屋になった当時、誰と言うわけでもなく広く周囲からしばしば言われたこと。 「大学院出て魚屋なんてもったいない」 「大学行ったの