二足のわらじが私を救った
久しぶりにnoteを書いてみようと開いたら、5ヶ月前の下書きが残っていた。
(時間も経ちすぎだし何をやっているのか)
まずはこちらを片付けることとする。
===ここから下書きと加筆===
前回、noteを始めたきっかけについていきなり触れたので、今回は自分の話を少し書いてみる。
プロフィールにも書いたが、私はクラフト作家業とライター業を主な生業としている。と言ってもそれで飯を食えているわけではないので、なんちゃってフリーランスである。日々の生活は夫の稼ぎがあればこそ成り立っていて、せめてと家事炊事を引き受けつつ、制作や執筆をちまちまと進めている。
勉強にさほど興味がなかった上に自立したい気持ちだけは満々だったため、高校を卒業してすぐに就職の道を選んだ。
都会への通勤と残業でヘトヘトになり3年で辞めることになるわけだが、その後も接客業と事務職を転々とし、結婚を機にパートタイムへと働き方を切り替えた。
正確に言うと結婚後2年ほどはフルタイムでがっつり働いたものの、朝早く夜遅いリズムに加えて、のしかかる家事負担に心と体が悲鳴をあげたからだ。
あの頃は虚ろな目でぎゅうぎゅう詰めの通勤電車に乗り、会社に向かって走ろうとしても全く足が上がらず当然スピードも出なくて、それを見た他部署の人に笑われた。仕事の内容的にはやりがいを感じて部署の人たちとも仲が良かったけれど、よくお腹も下してトイレへ駆け込んでいたし、とっくに限界は超えていたのだと思う。
子どもを産んだわけでもないのに働く時間を短くする=負けのように感じていたけれど、受け入れてみるとものすごく楽になった。
体調も徐々に回復し、悩まされていた顔面神経痛や目眩もおさまっていった。
あぁ、自分にはこれくらいの按配がちょうどいいんだな。
そう感じながら、短期派遣やパートの職をこれまた転々としながら、それなりに楽しく暮らしていた。
そんな生活にも慣れたかに思えたが、大台に突入し人生何度目かの
「このままでいいのか?」の問いが湧き上がってくる。
どうやら子宝に恵まれることはなく、ただ老いていくだけでいいのか…の答えは「否」で、当時勤めていた職場の上司に「やりたいことがあるんです」と相談した。
元々文章を読むのが好きで、特に地域のあれこれを紹介するフリーペーパーはよく集めていた。好きが高じて、主婦目線でお店の情報などを紹介するブログ的なものも書きながら、パート勤務をしていた。
「やりたいのは、これなんじゃないか」
未知の世界すぎて自信なんてまるでなかったけれど、自分を奮い立たせるように「ライターになりたくて」と宣言した。(ただ、正直、うまくいかなかったらその時はその時とも思っていた)
果たして上司や周りの人からも応援され、いざライターへの道を…といってもすぐ仕事になるわけもなく、しばらくはマッチングサイトなどで細々とチャレンジ案件をこなす日々が続いた。グルメ系のまとめ記事や女性向けのトレンドを紹介する記事は、いくらにもならないがそれなりに手間がかかった。
「コレジャナイ感」をひしひしと感じつつ、テレワークの仕事を紹介してくれるという社団法人に登録した。
ネット上のやり取りだけでなく、顔が見えてちゃんと人がいるところに安心感を覚えたし、もらった案件は一生懸命にこなした。
結果、役職に就いて今度はサポート側に回るわけだが、そうすると会社員時代と同じような「責任感」に次第に捉われるようになっていった。働き方こそ違うものの、逃げてきた世界に逆戻りである。
3年半くらい在籍して、結局そこも離れた。
つくづく、組織へ所属することに向いていない。
そんな中、夫と二人で始めたクラフト作家業は、楽しく続けられていた。
言い方はあれだが本業のようなしがらみがなく、自分のペースで出来る。
といっても頑張っていないわけではなく、むしろ超頑張っていると言ってもいい。家のことや依頼のあった仕事は昼間に片付け、夜ごはんを食べた後は延々と制作をする。365日、休みはない。
幸運なことに、複数の委託先に加えてイベントへの声がけも定期的にある。
作りすぎて困るということはないし、やっていて楽しいので全く飽きない。
あぁ、雇われる・使われるんじゃなく、仕事を作っていくほうが合っているんだな。そんな事実に気がつくのに25年くらいかかってしまった。
もっと早く気づいていれば別の人生が拓けていたかもしれないが、そんな仮定は無意味だし、紆余曲折の果てにたどり着いたから良いのかもしれない。
ライター業の経験も、作品説明や作品集づくりに生きている。
しかし最近は加齢による視力の衰えもひしひしと感じており、いつまで続けられるのかはわからない。
とりあえずは。今日も生きて、作る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?